☆トキメキ、というものはとても大事です。それは、ハートの奥で感覚的に感じるもの。トキメキということばを、ワクワク、という言い方で表現することもできます。
トキメキとは、すなわち、光、です。
光の射す方へ、魂は惹かれていくのです。
なぜなら、光の射す源の方こそ本来還るべきところ、だということを魂は本能的に知っているからです。
そうなのです。あなたは知っています。
還るべきところ(源/家)を、あなたは知っているのです。
たとえ、どんなに、あなたが還る家を忘れたとしても、どんなに、あなたが還る道を忘れたとしても、あなたが、いつか必ず還って来れるように、それは、あなたのために道しるべのように与えられているのです。
それが、トキメキ、ワクワク、というものです。
それは、あなたを確実に還る場所へと導いてくれます。
そして、それは、あなたのハートに、まるでセンサーのように備わっています。
いつかあなたが還って来れるように、それは、あなたに与えられています。
それとは、いま、あなたのハートで感じているそれ、のことです。
あなたが、ワタシに、もしくは、ワタシが綴るこのブログに、心惹かれるのならば、魂がトキメクのであれば、あなたは、あなたの道しるべであるそれを感じとっているといえます。
あなたには、すばらしい感性(センサー)がある、とワタシはあなたに言えます。
それは、別の言い方では、感性、という言い方もします。感性とは、まさに、あなたを還るべき家へと導いていくれるセンサーです。
ゆえに、あなたのその感性(センサー)に従ってゆくがいい、とワタシはあなたに云いたいのです。
迷わず、ゆくがいい。
怖れず、いきるがいい。
その道を歩むがいい。
その道は、かならず、あなたを還るべきところへと導いてくれます。
かくいうワタシも、その道を歩む者です。
迷いもありません。なぜなら、その道しかないからです。怖れることもありません。なぜなら、この道があるからです。
いまのあなたにとって、その道は、険しく、怖ろしく、茨の道にみえるかもしれません。
でも、あなたのその感性(センサー)に従って歩むならば、あなたは、あなたの内なるキリストとともに歩んでいるということであり、イエス・キリストとともに歩んでいるということであり、ワタシとともに歩んでいるということであり、その道は、ラクで、愛と歓びと祝福に満ちたものとなるのです。
それは、あなたにも与えられています。
光の射す方へ。
あなたの魂がときめく方へ。
どうぞ、導かれて歩んでいただきたいのです。
もう一度云います。
ワタシに、そして、ワタシが書くブログに、トキメキを感じているあなたは、すばらしい感性(センサー)を備えています。
あなたは、光を感じとっているということです。
どうぞ、そのすばらしき感性(センサー)を十分に信頼して、その道を歩むがいい。
ワタシは、ここにいます。そして、ワタシは、いつのときもあなたとともにいます。
☆
大切なのは、思考ではなく、あなたが感じている感覚(フィーリング)です。
あなたがハートで感じている感覚(フィーリング)こそ、あなたの現実を創っている(いく)のです。
あなたがあなた自身に対して、自分に制限は無い、と、そう思っているのなら、その現実があなたにもたらされていくということです。
アタマ(頭)では、その類いのことは、誰でも知っていることです。
大切なのは、思考ではなく、あなたが感じている感覚(フィーリング)です。
感じるがいい。
あなたの内なる衝動をハートで感じるがいい。
それこそが、あなたを高次元へと誘ってくれるのですから。
まさに、あなたがハートで感じている感覚(フィーリング)こそ、あなたを高次元へと導いてくれるガイド(水先案内人)なのです。
ハートを開いて、あなたを解き放つがいい。
ワタシからあなたへのメッセージはそれです。
☆どうしたらいいんだろう?
どうやったらいいのだろう?
そうやっていつも手法、方法、手段を考えるのがマインドというものです。
あれをしたら、こうなる、、、。あれをこうしたら、ああなる、、、。
マインドは、ロジカル(論理的)にしか考えることができません。
しかも、そのロジック(論理)たるものは、過去の記憶(経験)から想定されたものでしかありません。ゆえに、そこには、制限があります。
と同時に、そこには、出口(解決)がありません。
だとするなら、どうすればいいのでしょう??? ← (笑)
わたしたちは、ずっと、そいうことをしてきたのです。
こうすれば、あぁなる、、、こうすれば、こうなる、、、マインドは、このようなやり方でしか思考してこなかったのです。
なにがいいたいのかと申しますと、
どうしたらいいか?
というそういう思考の使い方をやめる、ということです。
それが、ただ在る、ただ生きる、という状態です。
逆説的ではありますが、そのときこそ、ロジック(論理/理屈)を超えた現実がやってくる(創造される)のです。
それを、ひとは「奇跡」「神の恩寵(ギフト)」と呼んでいます。
そのときにこそ、量子的な現実の飛躍が起きるのです。
そう、論理的思考を手放し、量子的思考へとシフトするのです。
つまり、わたしたちの思考は、もっと無制限に使うことができるのだということです。
そう、わたしたちの脳は、すでにそのように創られているのです。
なぜなら、神を体現するために、です。
人類は、いま、そのときを迎えたのです。
思考は、パワフルです。
というのも、思考こそが、この現実を創造しているのですから。
これまで、わたしたちの脳は、苦しみ、哀しみの感情に囚われ、そして制限された思考しか発動することができなかったのです。
制限された思考。
すなはち、過去のデーター(経験)の再生(リピート)をしているだけ。
これまでのわたしたちのマインドは、そのやり方でしか思考することできなかったといえます。
どうしたら?
どうやったら?
と、あなたは思考しているかもしれません。
どうしたら?悟れるのだろう?
どうやったら?うまくいくのだろう?
もし、そのロジカルな思考の中にいることに気づいたなら、もうそのやり方はやめた、と言って手放すがいい。
なるようになる。
どうにかなる。
なるようにしかならん。
ということを受け入れるのです。
それを、「覚悟」といいます。
そして、そのときこそ、マインドを超えた、量子的、神秘的、その扉が開かれるのです。
神をみよ。
あなたは神なのですから。
あなたはその真実を体現していくために、ここにいます。
ここにきたあなたには、制限なき思考を取り入れるその準備が整っています。
あなたの脳はすでにそのように創られています。
あなたの新しい思考は、あなたを新しい次元の現実へと誘っていくことでしょう。
ワタシは、知っています。
すべてはうまくいっている。
すべてが完璧である。
ワタシは,、知っています。
この世で起きていること、そして、この人生で起きていること、そのすべてが完璧であることを知っています。
そのすべてがはかなく美しいものであることを知っています。
美しき雄大な景色も、そして、美しき人の心も。
たとえ、どんなひとであれ、生きているその姿は、美しい。
醜さも、卑しさも、怒りも、憎しみも、戦いも、争いも、哀しみも、苦しみも、すべては、ワタシが創った。
ワタシは知っています。
すべては美しい。
ワタシは、それらを体験したかったのだと。
そして、ワタシは、それらをウンザリするほど経験し尽くした。
そのすべてが素晴らしい体験だった。
すべては、ワタシが創りだした。
ワタシは、知っています。
すべての夢は叶うことを。
すべての夢はすでに叶っていることを。
ワタシは知っています。
すべては美しい。
ワタシは、それを体験したかった。
そして、ワタシは、それを体験している。
ワタシは、知っています。
いま、というこのときをワタシはただ生きてるだけ。
永遠のいま。
ワタシは、知っています。
ワタシは、ただワタシを生きるだけです。
すべては完璧。
ワタシは、知っています。
☆もし、あなたがツライ想いをしてきたのであれば、あなたはそれを望んでいたことになります。
それは、けっしてあなたを裁くものではありません。
なぜなら、良い、悪い、は、ないのですから。
ただそうなのだということを述べているにしかすぎません。
そう、あなたを裁く必要はありません。
むしろ、これでよかったのだ、と己を認めてあげてください。
そのとき、あなたのその体験は完了したことになります。もう、あなたはその体験をする必要がないということです。手放す、とは、そういうことです。
本来のあなたには、制限がありません。あなたは自由なのです。
制限されてる状態さえ、あなたはあなたの自由意思で選択したのです。