☆いまここ、それは、聖なる瞬間である「聖なる」とは、どういうことか?
もともと「聖なる(Holy)」ということばの語源は「全体(whole)」からきています。
すなはち、「聖なる」とは、すべての時空間と次元を含んだ全体、という意。
そうなのです。
いまここ、いまこの瞬間には、多次元の世界が存在しているのです。
わたしたちは、多次元のすべての世界を、いまこの瞬間に体験しているのです。
でも、わたしたちは、そのごく限られた一部だけを知覚して、そして、それを現実と呼んでいます。
つまり、あなたの目の前には、いろいろな次元(波動レベル)の世界が展開されているワケなのですが、
あなたは、あなたの観たい一部の世界の意識次元に同調し、それを現実としているだけなのです。
いわゆる、自分自身について、また、あなたの人生について、いまあなたが知覚、体験していることは、
実際には、実相のほんの一部にしかすぎないということです。
その実相たるいまここは、天国でしかないのに、です。
そう、あなたの目の前に展開されている世界、その実相世界は天国だということ、です。
前回の記事 でも書きましたが、あなたはいまこの瞬間、奇跡と神秘の真っ只中にいると、言いましたように、
あなたはすでに天国にいる、ということなのです。
ただ、あなたはその一部しか知覚していない、ということ。
そして、あなたは実相がわからない、それゆえ、わからない世界を怖れているのです。
わからない世界、それは実体のないものであり、あなたはその実体のないものをただ怖れているだけなのです。
その怖れこそが、この世界を、そのような世界にみせているのです。
だれが?って、あなたが、、、です。
あなたが、あなた自身にみせて、そして、あなたに体験させているのです。
その状態のことを、仏教では、無明(無智)と呼んでいるのです。
なにがいいたいのかと申しますと、あなたの目の前にみえる世界は、天国なのだということです。
なのに、あなたがたは、そんなワケない、と、自分自身で決めつけているのです。
自分自身で決めつけて、それを体験して、さらにその決めつけを堅固たるものにしている。
まさに、真理の法則にのっとって、わたしたちは、自覚のないまま、そういうことをしているということです。
さぁ、マスターよ、そのことを自覚するがいい。
そして、あなたに告げよう。
もう、そのゲームを終わりにしようではないか!
この世界は天国であることに屈してみてはいかがだろうか!
この世界は天国であることに屈して、いまここの、聖なる瞬間に、くつろいでみてはいかがだろうか。
なぜなら、あなたに打ち明けよう。
いまここ、それが、次元シフトの入り口であり、いまここにくつろぐこと、それが、次元上昇(アセンション)の秘訣でもあるのだから。
☆ここは天国である。という前提でこの世をみると、自分のなかにどれだけの限定(観念、こだわり)があるか、がよくわかります。
だって、ここが天国ならば、すべてを信頼して、ゆだねて、安心して、好きなことだけしながら、豊かに、、、、
そんなふうに生きてよいワケですから。
でも、そんなふうに生きられない、ということは、カン違いしてこの世を知覚している、もしくは観ている、
ということになります。
いわゆる、何かの限定(思い込み)が自分のなかにあるゆえに、だから、すべてを信頼して、ゆだねる、明け渡すことができない、というワケです。
さて、ここであなたがたに問いたいのです。
ここは天国である、という前提をあなたは受け入れることができるだろうか?
あなたがたの多くが、ここが天国だなんて、そんな馬鹿な!と、思われることでしょう。
でも、なかには、私はそれを受け入れたい!
と思う方もおられるでしょう。
なにが言いたいのかと申しますと、あなたが目覚めるか否かは、ホンのそんなことでしかない、ということなのです。
じつは、たったそれだけのことなのです。
あなたは、これまであらゆるスピリチュアルな探求をしてきたかもしれません。
それでも、あなたはいつもゴールの手前にいながら、まだまだ、もう少し、、、
ということをしているのをお気づきでしょうか?
それは、まさに、終わりなきゲーム、です。
あなたが、もう終わるんだ、と見切らないかぎりそれは続くのです。
そう、あなたは、ここが天国だ、ということが証明されないかぎり認めることはできない、と、言っているのです。
そして、それは、永遠に証明されないままそのゲームは続くのです。
なぜなら、ここは天国じゃない、ということを証明し続ける現実をあなたが創造しているからです。
もう、そのゲームを降りる、と決めて、ここは天国である、ということを受け入れて、そこの視点に立ってみてみるがいい。
その視点から、この世界を、人生を、あなた自身を、すべてのものを眺めてみるがいい。
そのとき、あなたに、その実相たる様が五感を超えてはっきりとみえてくることでしょう。
それは、到達するものではありません。
完璧になる、というものではなく、完璧である、とただ認める、受け入れるのです。
ホンのそれだけのこと。かーんたん、だということ。
マスターよ、もう、めんどうくさいことはやめて、無垢になって、ただ純粋に、ここは天国である、ということに屈するがいい。すでに、あなたは完璧なのです。
すでに、すべては完璧なのです。
それが、今日のワタシからのメッセージです。
☆生きていると、いろんなことがあります。いろんなことが、あなたの人生にやってきます。
もちろん、生きていると、いろんなひとがいます。
いろんなひとが、あなたの人生でやってきます。
でも、そのどれも完璧であることを知っておいてください。
完璧である、とは、必然であるということです。
たまたま、偶然、というものは無いのです。
もっというなら、あなたにとって必要なこととしてしか起きていない、ということです。
ならば、果たしてこの世に、想定外、というものはあり得るのでしょうか?
そのことを真剣に受け入れるならば、想定外、というものはない、という結論にいきつくことでしょう。
あなたが想定外と思われるものを体験しているとき、あなたにとって都合のいいものは、奇跡と呼ばれ、
あなたにとって都合のよくないものは、被害として捉えられています。
つまるところ、想定外といわれるすべては、あなたが己で限定したもの(観念、思い込みの限界)をただ感じているだけ、ということに気づくことでしょう。
わかりやすい例でいうなら、思い通りにいかない、とあなたが感じているとき、それは、あなたの内側に観念(思い込み)の制限がありますよ、と、あなたに知らせているのだということです。
思い通りにいかない、とあなたが感じているのならば、あなたの内なる限定の方を解除するほかないということです。
ようするに、思い通りにいかないことに対して、外の現実を思い通りにいかせようとするのではなく、あなたが感じている内側のその窮屈さを解放していけばいいのだということです。
あなたがその制限をなくしていくとき、あなたは無限へと帰還しているのです。
そう、あなたはそれを望んでいます。
あなたにとっての想定外とは、あなたを無限へと開く扉なのです。
なにがいいたいのかと申しますと、あなたの内側の制限を手放していくこと、それしかない、ということです。
そのことを、神にゆだねる、神に明け渡す、神に屈する、という言い方で、ワタシは呼んでいるのです。
マスターよ、想定外のことが起きることを歓ぶがいい。
思い通りにいかないことを受け入れるがいい。
それは、神からあなたへのギフトであることを知るがいい。
なぜなら、あなたを無限へと帰還させてくれている導きそのものであるのだから。
それを完全に受け入れたとき、あなたは、己が無限であることを思い出すであろう。
そのとき、あなたは、すべてが望み通りに動いていく世界をみるであろう。
☆いま、あなたの現実になにが起きていようと、起きている出来事が問題なのではありません。
もし、いま、あなたが苦しみを感じているのなら、どうぞ、そのことを知っておいてください。
いまあるその状況が問題なのではない、ということです。
それは、あなたのこころの内側にあった闇(ホントはそんなものは無いのに、、、)が、あなたの現実に投影されてただ起きているだけのことなのです。
その現実、状況に意識を向けるのではなく、それによって感じているあなたの内側のその感覚の方にどうぞ注意を向けてください。そして、感じきってください。
怖れ、不安、迷い、哀しみ、さみしさ、絶望感、、、あなたのなかに潜在していたそれらの感覚。
いま、あなたがそれらを感じているのなら、抵抗をあきらめて、いま、感じきってみてください。
あなたが、それらを受け入れようと心に決めて感じ切るならば、それらは消えて無くなります。
どうぞ、試してみてください。
ダマされたと思って、思いきって、感じ切ってみるがいい。
そのとき、あなたのなかにあった怖れ、不安、迷い、哀しみ、さみしさ、、、それらの感覚が無くなっていくことに、あなたは気づきます。
それは消え失せていくのです。
なぜなら、ホントは、そんな(闇やネガティブみたいな)ものは、はじめから、無い、のですから。
(もし、それを試してみて、ホントだ!と体感した方は、どうぞコメントください。それが、他の方々に、試してみよう!という気持ちを起こさせることになりますから)
なにがいいたいのかと申しますと、いま、あらゆるひとのなかで起きていることは、いまこの時代に必要なことがただ起きているだけなのだ、ということです。
あなたが、闇(ホントはそんなものは無い)を持ち続けているかぎり、あなたが、闇は無い、としないかぎり、
これからやってくるアセンションの時代は、あなたにとって、苦しみでしかないからです。
闇は無い。
苦しみは無い。
問題は無い。
あなたがその真相に目覚めないかぎり、あなたのアセンションはあり得ません。
でも、もし、いまあなたが苦しみを感じているのなら、どうぞ、そのことを歓迎してください。
なぜなら、いまこそ、あなたはその真相を知るチャンス(好機)にあるのですから。
もう一度、云います。
いま、あなたの現実になにが起きていようと、起きている出来事が問題なのではありません。
問題はない、のです。すべては完璧です。
その真相をみた(気づいた)ひとたちは、ラクに、シンプルに、スッキリと生きはじめています。
それが、ワタシの現実に起きていることです。
それが、ワタシと出会ったひとたちの現実に起きていることです。
ラクに、シンプルに、スッキリといきる。
そう生きていいんだよ、と、どうぞあなた自身に言ってあげてください。
ラクに、シンプルに、スッキリと生きていく、と、どうぞ望んでください。
>つむぐさん
ハートで感じてください。
あなたの胸の真ん中のハートで感じ切ってください。
ジーニー 2012-11-19 14:40:49 >>このコメントに返信 7. 無題
ハートですね。ありがとうございます。
☆この世は、自分が創っています。もっというと、自分の思いがこの世の現実を創っています。
その原理こそが、この世のしくみ(メカニズム)なのです。
ゆえに、だいじょうぶ、とあなたが思っていれば、だいじょうぶな現実があなたの人生に展開されるのです。
あなたの思いが、あなたの現実を創っています。
でも、わたしたちは、どうにかしなきゃ、なにかしなきゃ、といつも思いながら生きています。
そこが、マインド(自我)のトリックなのです。
だいじょうぶ、とただ思えばいいのに、だいじょうぶ、という思いの状態になるためには、どうしたらそうなれるんだろう?という具合にマインドは、なにかしなきゃ、と思考を巡らしはじめるのです。
それは、まるで出口(終わり)のない迷路です。
特にスピリチュアルな探求や学びをしている方こそ、その終わりなき迷路のなかでがんじがらめになってしまっています。
ワタシが最近感じていることがそれです。
なにがいいたいのかと申しますと、どうぞ、マインド(思考)を手放していただきたい、ということです。
あなたが思考を超えた世界を知りたいのであれば、あなたがラクに生きていきたいのであれば、あなたが悟ってラクになりたいのであれば、
もう、マインド(アタマ/思考)で愛をわかろうとすることをやめてください。
もう、マインド(アタマ/思考)で神をわかろうとすることをあきらめてください。
もう、マインド(アタマ/思考)で悟りというものをわかろうとすることをあきらめてください。
すなはち、そのマインド(思考)癖に気づいてください、ということ。
マインド(思考)でわかろうとすること、それは、まるで出口なき、終わりなき迷走ゲームにはまっているということ。
あなたはすでに完璧です。
あなたはすでに知っています。
もう、あなた以外の何かに真実をさがすことは無意味だと知ってください。
それが、あなたのゴールなのです。
なにもする必要はない、これがゴールです。
なにもする必要がない、とあなたが思えたとき、あなたは、いまここ、にただ在るだけの存在になります。
ゼッタイ、ダイジョウブ、、、ただ在る、、、なにもする必要はない、、、いまここ、、、
その境地こそ、あなたが究極にさがしているものだということをどうぞ知っていただきたい。
☆すべては自分。
つまり、すべてはあなた自身だということです。
この世界には、あなたしかいません。
あなたの目の前にある現実は、あなた(の心)を映し出しています。
ゆえに、あなたが、だれかを否定するなら、いまの現実を否定するなら、あなたは自分を否定していることになります。
さて、その自分であるあなたの本質とは、神であり、愛です。
あなたが目覚めるならば、そのことが一瞬で明白になります。
然るに、自分=神=愛と言い換えるなら、すべては神。すべては愛。
この世界は神でしかありません。
この世界は愛でしかありません。
あなたの目の前にある現実は、神を映し出しています。
あなたの目の前にある現実は、愛を映し出しています。
ゆえに、あなたが、だれかを否定するなら、いまの現実を否定するなら、あなたは神を、愛を否定していることになります。
なにがいいたいのかと申しますと、あなたは目の前にある現実を、どうぞ、あなたの人生を受け入れてください。
あなたの人生に起きるすべてを受け入れてください。
といいますのも、2012年冬至を過ぎて、いま、現実における転換期に入っています。
それは、いま、あなたにも起きてます。
それは、いま、あなたの現実に起きているはずです。
いま、目の前にあるあなたの現実を受け入れてください。
これでいいのだ、と受け入れるのです。
すべてはこれでいいのです、と。
そのとき、あなたはようやく自分(の人生)を愛しはじめたということになります。
そう、究極は、すべてを愛するほかないのですから。
ようするに、神に委ねる、神に屈する、とは、そういうことです。
それは、あなた自身を肯定して(受け入れて)いくことなのです。
ただただ、自分を愛してください。
ただただ、あなたを愛してください。
すべてはこれでいいのです、と。
それが、今日のワタシからあなたへのメッセージです。
☆
すべては必然で起きています。
あなたにとって、それはすばらしいことが起きているということです。
できることなら、あなたが、その(神の)視点から世界をみることができたなら、あなたは、ラクに、しかも、ワクワクしながら、その人生を謳歌することになるのです。
怖れることなかれ。
あなたはすでに救われています。
すべてに愛されています。
ワタシはあなたを愛しています。
ワタシがあなたにお伝えしたいのはそれです。