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備忘録

捻くれ式 11~13

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捻くれ式 11~13

願望と実現がまさに一体だから、待ち望むというのはおかしい


結構前のことなのですが、私にとっての全ての答えは、チケットの序章にあったんです。
(灯台もと暗しとはこのことですよw)

「願望はそう簡単に叶うものではない」
まさしくこれが、私自身の『願望』という概念に対する定義でした。

今までこちらで幾度か認識の変化の過程と、その過程で思いついたメソッドを報告させて頂いてきました。
やっぱり7章なんだな、と行きついたのは行きついたのですが、108氏の言う事全てが
理解出来たわけじゃなかったし、どうしても腑に落ちない部分もあったんです。

「快で居る事は大事」と書いた。快であることはデフォルトだとも。
でも快でいてもいなくとも、願いは叶ったり叶わなかったり。
うまくいったりいかなかったりの波は、やっぱり小さいながら私にもあった。

そこをいちいち判断するなと108氏は仰るわけですが、
結局叶う願いなんてないのだろうか、偶然や運命の範疇なんだろうか。

1年間じっくり時間をかけて自分の願望の実現を見てきても、
やはりコントロールに傾注してしまう部分が私の中にありました。
というより、ずっとずっと、謎を解き明かしたい、という気持ちが私の中にありました。
「引き寄せ」という考え方そのものに対する疑問です。

そしてある日、チケット序章を思い出して「おや?」と思った。(※以下、あくまでも私の場合です)

メソッドをすること・引き寄せの法則を知って活用しようとすること…
これらの行動は全て「願望とはもともと実現困難だ」という概念に支えられていたんじゃないか?
だから私は今まであらゆる方法で『叶える方法』を追い求め、生きがいを感じていたのでは?

叶わない・引き寄せなど出来ない、というレスに対して、「いや!叶うんだよ」と無性に
反論したくなる気持ちがあったのも、現実はコントロールできませんという108氏の言い回しに
かつて憤ったのも、全てこの概念が、変更不可能なものとして私自身を突き動かしていたからでは・・・?

「願望とはもともと実現困難・不可能なものだ」

この、私自身がいつ信念としたか分からないくらいに巧妙に隠された
このスレにいる方たちほとんどが、当たり前だと思えるような概念によって
私は努力を強いられてきたのだと気付きました。

そしてチケット1章の冒頭部分と、
108氏がいつも言ってる「充足に包まれている」という言い回し・既にある、がハッキリ繋がった。

そうだ、水を飲む事、寝る事、テレビを見る事…自分の特定の欲求を充たすという願望実現に他ならない。
だが私はそれを「願望」と認識していなかった。

そんな誰でも出来る簡単な事は願望とは呼べない!願望実現の例だと認めない!
(つまり「私にとっての『願望』とは、簡単に実現しないものだということですね)

でも願望に種類が無いとしたら、際限が無いのだとしたら。(ここはクレ氏も仰ってます)
特に意識しなくても、私は特定の欲求を満たしている。実現している。

もしかして、願望とはもともと叶うように出来ているのじゃないか?!
なら、何のためにメソッドをしているんだ?!
うまくいく方法とダメな方法を見分けろ?!
瞑想すれば?!快にならなければ?!ハァ?!

そんなこんなで、今までの108氏のコメントが(これまたクレ氏と同様に)同じに見えてしまったのです。

「願いとはそもそも実現するものだ」
私には、彼がたったこの一言の視点からずっと物事を見ていただけだと感じられた。

上り下りの波の中、潜在意識、瞑想、バシャール、エイブラハム…
あらゆる事をして「願いを叶えよう」とやってきた過去。
チケットを一番最初に手に取った時で「これを使えば不可能が可能になる」、そんな心境だった。

上り調子の時は、つかの間の幸福や安堵感に身をまかせつつ、失う恐怖にさいなまれる。
でもそのたびに「大丈夫!実現方法があるんだから!無くしてもまた手に入れられるよ!」
そう自分を励まして生きてきた。

しかし願ったことは手に入ったり入らなかったりで、私はますます
「願いとは叶わないものだ。でも実現方法をがんばれば、叶う確率が上がる」
そんな信念を補強していっていただけなのでした。

で、これに気付いた後は早かったです。
願望と実現がまさに一体だから、待ち望むというのがそもそもおかしい。
7章にあること今、そのまんまを体験し続けています。

沢山揃えてあった実現方法を書いた本は、全部古本屋にいきましたw
そのままの意味で、何も必要ないのでした。メソッドをすることすら、本当に。

「叶わない、引き寄せなんてそもそも無理」こんなレスに、ずっと昔は反論したくなっていたけど
(まさしく私の【願望】に対する信念をずばり言い当てられて、その信念を否定しようと
していたからでしょう)今はまるで他人事のように感じられる。

方法を一生懸命考えているレスも、まるで遥か昔に起きた出来事のように見えてしまいます。

最近の流れを少し拝見したところ、かなり気付いておられる方多そうなんで、
もう分かってるんだYOって方はそのまま自由でいてください。

でも実現への渇望や、義務感に疲れ切った貴方は、そろそろメソッド探しや、
自分に適用出来ているかどうか、それそのものを疑ってみるのもいいかもしれない。
その行動の動機がどこから出ているのか、もし私と同じく「願いは叶わないものだ」
というものから出ているならば、その信念そのものを疑ってみるのもいいかもしれない。




世界の愛を遮断していたのは自分だと気付く

* 題して「一日メソッド」です。

内容は「今日一日は、何があっても一切自分を責めない」というものです。

自分を責めることにどれほど正当な理由があるように思えても、それを採用しない。無視する。

誰かに「ごめんなさい」と言わなきゃならない場合でも、その時に自分を責めない。

「こんにちは」と挨拶する感覚で「ごめんなさい」「すみません」と言う。

「しまった!部屋の電気を消し忘れたまま出勤してきてしまった!」という場合でも、その事について自分を叱らない。

「私は部屋の電気をつけたまま出勤している」と単なる事実として確認するに留め、その事について自分の行為を責めない。

電車でシルバーシートに座ってウトウトしていた。電車を降りるとき、近くでお年寄りが立ちっぱなしでいたことに気付いて「あっ!」と思っても、罪悪感を使用しない。その事について一切自分を裁かない。

「明日は早く起きなきゃ行けないのに、なかなか寝付けない」というときでも、その事について自己嫌悪にならない。その事で自分を一切責めない。

「私は眠れない」と考えずに「私は今起きている」と考え、その事を発端に罪悪感を活用し始めようとする活動を中止する。

新聞に入っていたチラシを見ながら、

「この欲しかったテレビ、まだ買えていないんだよな〜。うちはまだ古いアナログテレビだ。早くしなとアナログ放送が終わっちゃうのに…」

と思っても、その事で自分を責めない。チラシを、自分を責める材料として使わない。

「しまった!今自分で自分を責めてしまった!」と気付いても、その事について自分を責めない(笑)。

結構大変かもしれません。でも一日限定だから頑張って徹底してくださいよ。

さて、この一日メソッドを終えたとき、あなたはどんなことに気付くでしょうか。

あなたはこれまで、自分自身を一日中責め通しであったことが分かって愕然とするでしょう。

「私はこれほどまでに休むことなく、自分自身を責めっぱなしであったのか!」

と。

それに気付いても、自分を責めないでくださいよ(笑)。*

裁かないメソッドに私もコツを一つ。

願いの事を考えてwktkしない…
むしろ「ハァやっぱオイラにゃ無理だよ(''A`)願うの止めたい。でも止められねぇ」
さらには「願うの止められないのに叶う気もしない…どうしようもねぇ。死にたい」
とか思っちゃう人。

願うのを止めろ?引き寄せ中毒者?特定願望は無理?
いいえ、そんなこと絶対言いませんよw
折角抱いた願いなんだ、どうせならパァーッと叶えましょうよ。

今日一日、神様になったような気分ですごしてください。
創造主?太母?スーパーマン?なんでもいいです。

ようは自分自身の偉大さを身体の隅々まで感じてください。
実際、偉大です。私たち全員は滅茶苦茶偉大。
↑に書いたような方向へ思考がいっちゃう人は、自己評価がとんでもなく低いんですよ。
自分の紳性完璧無視。自分にそれを持つ権利が無いって無意識に端から決め付けてるから
感情は不快をサインとして送ってくる。

私たちは今まで、ここではない「過去」に今欲しい物を持っていた自分は偉大だ、とか
「未来」に今欲しい物持っているかもしれない自分は偉大だ、と思考して
今の自分にいつまでも、「今」偉大さを与えてあげない。
許可=自己評価といっても過言ではないです。

今日一日、自分の価値を最大限に感じてください。
何度か言ってますが、決しておまじないじゃないですよ。唱えるだけじゃダメ。

身体で偉大さを実感してください。「それを今持つ権利があること」を。

今の自分に対する評価が正当なものになればなるほど、
自分の視界と周囲が驚くほど整備されてきます。
でも拒否反応が強い人は決して無理しないようにしてください。


注目すべきは4月からレスの変化を追うと、どんどん自分が捻くれじゃなくなってることw
今も色々叶ったり、あれ?ちと上手くいかんなぁと思うこともままあって、面白いんですが、
あれほど4月に「好転してるけど、意図的に7章なんか適用できっか!プギャー」
と言ってたのに行き着いた場所は7章……。

私は4月当初、正直108氏に物申す!って感じで書き込んでたのでw
当時疑問に思ってた事も、今までの人生で起きていた事も、大体構造が見えてきました。

ただ今更ながら思うんですが、もっと7章の認識に移行してから書けば良かったかな。
認識の変化が露骨すぎて、今と昔で言ってることが矛盾してしまうw

考察すると、「許可」しないことには現象化することはまず在りえない。
108式の真髄は「必要だと思えることを不要であると認識する」ことにある。
だから「許可が絶対必要」だという認識を捨てることによって、逆に許可する姿勢を取らせる。
シンプルですよ。チケットはガチ。

自分でする事がどんどんなくなる程、世界の愛を遮断していたのは自分だと気付く。


捻くれ者さんが効果のあったものとか聞いてみたいです。


「効果があったもの」ここが罠!ワーナーマイカルですよ!
捻くれ族は○○したら叶う、の取引・条件付け大好きっ子。
取引は、口先だけで「許可しますた!」って言ってるのと同じ。
ぜーんぜん許可出来てないんですよ。

だから「これが効果ある!」っていう先入観から入らん方がいい。

素直組と捻くれ組の差は、この先入観に対する期待度=認識の依存度(外or内)が絶対ある。
「ほほぅこれをやると何だか心地良いな」じゃなくて「これやらなきゃ!」
文面からしても現象化、つまり外部に対する必死度や重要度が違います。

で、脱捻くれした今の私は108氏と同じく「快になる思考を選べ」としか言えないですが、
まだ多くの人が「快になる」のを躊躇している段階にいる。しかもその大部分の人は、
それを自覚しているはず。あれこれ捻くれメソだなんだと、ここで色々書き散らしたんですが、
108メソも捻くれメソも、全部ツールに過ぎない。

一番大事なのは、自分の身体や感情、体感する物に敏感になってみること、
だとつくづく思っています。
快になるのを阻むそれを感じるのは、すごい怖いし、勇気がいりますよ。
でもやってみる価値は大いにある。

分かりやすいのが、アファ・許可の言い回し。
自分の感覚に敏感になればなるほど、合っていない言い回しとシックリくる言い回しが
ぴったり判別出来る。シックリきてれば、驚くほど精神安定しますよ。
それを見つけるのも楽しいです。

言い方一つで不安や不快感が湧くなら解放のチャーンス!
しっくりwktk安心なら、そのまま突き進むチャーンス!
とにかく早く!の人ほど、ゆっくり進む気持ちがいります。



ブチっとエゴが切れた瞬間の話も書いておきます。

4月以降、叶いながらも、あれこれ考察する癖が止められなかったんですね。
こういうパターンで叶ったと、経験値としてストックしようとする。
で、また迷宮の入り口と天国を行ったり来たりw

夏の終わりごろ、ある日起きた瞬間「おい疲れたわ」と内側から声がしたんですよ。
その後猛烈に早口で自分をまくし立ててました。

「なんで今の私じゃダメ?なんで変わらないとダメ?」と繰り返したんです。
で、「ああダメ出しして変わる事に疲れた、今の自分で受け取ろう」とはっきり決意。
ここから認識が7章に入り、納得の行くことがさらに増えてきました。

つまり、くたくたになるまでエゴと踊ると、いつか奴はギブアップします。
今の自分に価値を与えず、努力して自分を変える事を誘うと「だが断る」と返ってくるw
これは愉快痛快です。皆さん安心してください。




執着とは、私が私に意図の実現を禁じているただのバロメーター


さて、今年度の私のスタンスもやっぱり「自愛」に落ち着きそうです。
今回の108氏の回答のうち、>>3289に注目して頂きたい。

3289 108
復縁希望とのことですが、その後どうでしょう?

一つ気になった部分がありました。

> 必ず私が彼を幸せにするんだ

ここです。

彼の幸せは、あなたに依存していない。
同じようにあなたの幸せも、だれかという条件に依存していない。

あなたが違う意味でこの表現を使っているのは分かっています。
しかし、まずはこの前提をじっくりと受け容れてみてください。

その上で、あなたが復縁を選ぶかどうかはさておいて、
彼のことが好きならその気持ちを大事にしてください。

その気持ちを復縁という考えに結びつけたりしないで、
「彼が好きだ」という純粋な想いのまま、大切にしてください。

> 潜在意識は、『そう思えばそうなる』ですよね?

そうとも限りません。
あなたが意識上で考えていることと潜在意識に刻印されていることは、
必ずしもイコールではないからです。

あなたはどうしても復縁したいから、失敗が許されないと考えている。
失敗が恐ろしいから、ネガティブな考えに猛烈に反応する。
つまり、それをどんどん引き寄せようとしているわけです。
執着することで復縁と正反対の方向に潜在意識をセットしようとしている。

だからまず、最初に書いた前提を思い浮かべてください。

あなたの幸せは彼に依存していない。
つまり、復縁できなくてもあなたにとっては「どうってことない」ということです。

「そんなことないよ!」
と思うでしょうが、実際には「どうってことない」というのが本当のところなんです。

今のあなたは復縁することに猛烈に執着しているから、それ無しでは自分の幸せはないと思っている。
おまけに、自分なしで彼が幸せになることも許さないということになっている。
何重にも補強して、これ以外は絶対に許さないという態度で臨んでいる。

このスタンスでいる限り、復縁するのは難しいですよ。
たとえ復縁できたとしてもロクなことにはならないと思います。

だから、あなたは一度そういった条件付けを手放して楽になってみればいい。
従来のスタンスでは復縁することがより難しいなら、そうやって執着することを、
試しに一度放棄してみたらいい。

あなたは彼が好き。これは純粋な気持ち。
だからといって復縁しなきゃならないわけでもない。

「好きだから復縁するしかない」というのは、単にあなたがくっつけた条件付けです。
あなたが彼を好きなことと、実際にあなたが彼と復縁できるかどうかは関係していない。
じゃあ、それを結びつける必要はどこにもないじゃないですか。

結びつけなければ、あなたは彼を好きなことで苦しむ必要はなくなる。
あなたが彼を好きな気持ちは、復縁できるかどうかに依存していないからです。

あなたは彼と復縁できないということなら、彼を好きな気持ちが消滅するのですか?

しませんよね。
では、その気持ちは復縁できるか否かということからは独立しているということです。
つまりあなたが頭の中で作り上げた条件付けと無関係な、実存する本当の気持ちだということです。
だったらその気持ちを、なんにも依存させずに思いっきり大切にしてやればいい。
なんにも関連させずに、そのまんまで大事にすればいいのです。

ただし復縁できないとも言っていない。
でもそのことをがんじがらめに条件付けする必要はまったくない。

質疑応答まとめやチケットの「愛を送る」の項も参考にしてみてください。


「気持ちを大事に」ってありますよね。これはあらゆることに応用できます。
併せて前スレ画家氏の>>750を百万回読んでほしい!

750 画家

>>719
>まぁ、こうやって考えてる自体がエゴエゴなんでしょうけどw

あははw
その通りw

>それらの考えに対して恐怖や不安などの不快な感情を感じた場合、
>その考えをエゴと捉えるのでしょうか?

先ずエゴを軽く考えてください。単なる錯覚にすぎません。

それらの感情はあなたが考え違いしたとき起こります。
ただそれだけだ、と認識すればおkです。

エイブラハムはあまりエゴを言いませんが、こんなことを言っております。
大事な箇所です。

「ほどんどの人は自分の健康、成功、強さを証明する必要があると信じているが、そんな必要はない。
実際、そのようなことを証明しようとすると、裏目に出て、健康を損なったり、危険な目に遭ったり
するのが普通なのだ。より広い内なる視点から見れば、あなたは安全で、健康で、成功しており、
強いのだ。

それ以外のことは全て幻想である。あなたの物質的な思考や信念によって生み出される幻想なのだ」

「物質世界の友人たちにとって、明らかな兆候がある病気を幻想であると見なすのは難しいかもしれない。
貧困、不安、不幸な人間関係、あるいは世の中の出来事が幻想だということを理解することも簡単では
ないだろう。

わたしたちが<幻想>という言葉で意味しようとしていることを理解するには、一歩下がって、
広い視野から物事を見てみる必要がある。」

~中略~

「物的証拠は歴然としているように思え、多くの人がその価値を主張する。だが、すべては幻想に過ぎない。
なぜなら、それは物質的な次元でのみ起こっていることだから。そのことをあなたははっきりと
理解するだろう」

『引き寄せの法則の本質(金本)』p173~175

ここで語られている<錯覚>がエゴのお仕事だったのです。

ひとことだけ申し上げておきましょうね☆
既にご承知ならごめんなさい。

『あなたがどう感じるかがただひたすら大切なことです』


あなたが答えです。
どんなお偉い聖者や覚者や権威者やマスター(笑)が
何を言ってもあなたがそれを心地よいと感じるか不快と感じるか、
心地よいのならその教えはあなたにとって正解であり、
不快であったらそれはあなたにとっては嘘なのです。

外に答えを求めると頭でそれを判断し、今度は自分をその中に組み込もうとします。
しかしそれはあなたではないので必ず違和感がある。
でもエゴはこうつぶやきます。

「彼の言ってることが真理だ、信じるんだ、さもないと・・・」
もうその思考の根底にある動機がわかりますねw
脅しです。

つまりところ、正直なあなたの感覚こそ超超超超超大切であり、
あなたの存在において最大の指揮権を有するものなのです。

剣と禅で新境地を開いた幕末の山岡撤収じゃないw山岡鉄舟は鉄券之説で「鉄券を渡すな」と言いました。
鉄券とは土地の所有権であったり天子からのお墨付きの意味。つまり私が私である最高の証明書です。

それは各人が既に持っております。これを生得権と言ってもいい。
あなたの鉄券を他に渡すことはありません☆
あなたの感覚もその鉄券なのです。
ありがとう!


例えば恋愛。
「相手の自由を思う事が真の愛」「愛される事だけを望むのは偽りの愛」
「真の愛が持てない限り、恋愛は成就しない」
あると思いますwしかしこれも一つの考え方でしかない。

この考え方でシックリ来る人はこれでいいのだと思います。
それは、貴方にカチリと嵌っているということ。貴方にとって真実であること。

ちなみに私は上記みたいなのはクソ食らえと思ってますw

もしあなたが、
「浮気を自由に許すのが真の愛?相手の事を一番に考えないといけない?ふざけんなしwww」
そう思ったのなら、その気持ちも大事にしてあげる。
それが貴方にとっての正しい答えなのです。

「相手の事がとても好きだ」: その気持ちも大事にしてあげる。
「私の事を好きになってほしいな」: その気持ちも大事にしてあげる。
「でもきっと成就は無理だろうな」: そう考えて苦しいのなら、それは貴方にとって嘘。

たったこれだけの構造なのです。


お金・仕事だって同じです。
「今お金が無くてもやっていけてるでしょ?」
「今生きてる事、それだけで十分恵まれてるんじゃないの?気付こうよ」

ごもっとも!ごもっともであります!もうおっさるとおり!
でも私は残念ながら強欲なのでw

「お金っていくら持ってても荷物にはならないし、良いものじゃん」
「今生きてる事だけじゃなくて、お金もっとあればいいな」

最初の考えに納得できないという貴方の気持ちが出てきたのなら、
それは貴方にとって真実なんです。だからその気持ちを大事に大事にする。

経験から言うと、執着は罪悪感の裏返しの気がします。
手に入れてはいけないと結局自分で禁じている。
手に入れられない(嘘の)理由付けが、どこかしら腑に落ちている、

だから禁を破ってはいけない、だからこそなんとしても欲しい…と。
自覚出来る執着があるうちは叶いにくい、とよく言われる原因の一つが、
こういう無意識的機械処理の関連付けにあるのかなと思います。

執着を持ってはいけません。
相手の幸せを願っていれば執着など起きません。
現状に満足していれば執着など起きません。

頭ごなしに道徳上の回答を繰り返され、うんざりしてきた貴方!
「執着とは、私が私に意図の実現を禁じているただのバロメーターである」
まずはここまで、執着という概念を柔らかくしてみる。
敵視しなければ、無くそうと躍起になることもない。

「執着があるから叶わない」という既成概念を壊すことは㍉です。
壊そうとする行動自体、執着に非常に厄介な存在としての意義を与えるから。
罪悪感も執着も無くす必要がない。
そう、ここで画家氏のいつものレスにリンクする!

「影は最初から無いのです」(´∀`;)

うーん・・・画家氏のプロモみたいなレスになってしまったw



一つ聞きたいんですが、例えばの話。

自分は
「相手の事がとても好きだ」「私の事を好きになってほしいな」→モヤモヤする
「でもきっと成就は無理だろうな」→モヤモヤする

ってなることがよくあるんだけど、
上は罪悪感からのモヤモヤで下は真実でない(嘘)だからモヤモヤするのかな
AとBどっちでもモヤモヤするみたいな

感情ナビもよくわからんのです


私の体験したモヤモヤだと、2種類入り混じってました。
欲しいけれどそれを手に入れるのはおこがましいだろう、という罪悪感からのモヤモヤ。
だから素直に願い切れなくて、とっても苦しい。欲しいのに欲しいと言えないあのもどかしさ。

もう一つは、理性が判断した不可能性に対するモヤモヤ。
どんなに願っても手に入らないという理由が腑に落ちている、
だからどんなに欲しがっても無駄だと分かっている、あの虚しさ。
2重の禁止意識にかなり苦しんだ記憶があります。



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