画家式65 その瞬間の全ての思考、感情を「見る」ことにより感じられる沈黙の背景
名無し
どうしてもループしてしまうんだが、誰か教えて。
コントロールしたい欲求がやっぱり出てきてしまうんだよね。
それって別の領域を信用出来てないからだと思うんだけど、
ふと現実を見ると怒りが湧いてきてコントロール願望が爆発する。
だけどコントロールなんて出来ないから苦しくて、
もうどうでもいいわ!→
まさか手放せた?超楽!超楽しい!→
嗚呼、なんて幸せなんだろう!既にあったんじゃん!私の望んでたもの全部全部!→
しかし本当にこのままで叶うのか?→
いやいや、いかんいかん!→
願望を考えることを私が忘れたら神様も忘れて叶わないかもしれない→
まさか一生このまま?!いやああああ!!!→
変えなければ!早く変えなければ!→
しかしなんにも変わらない…悲しい…苦しい…
叶わないって事は私の内面に願望を受け取るのを拒む気持ちがあるんだ→
恋愛恐怖症だし…私が悪いんだ、この現実を選んでるんだ→
こんな想いをするなら死んだほうがマシだああああ!!!→
でも、死ねないよ…ただ幸せになりたいだけなのに…どうしてよ→
苦しい!悲しい!辛い!→もうどうでもいいわ(最初に戻る)
これの繰り返し。
てか書いてて思ったけど、願望と一体化しまくってるな私w
頭じゃわかっちゃいるんだ…
名無し
>>909さん
画家さんが以前仰ってた感情システムを信頼してはどうでしょうか?
不安・不快は嘘・虚構を指し示すシグナルということです。
例えば、ライブのチケット応募をしたとしましょう。
「抽選で当たったらいいなぁ、ライブ行けたらいいなぁ、楽しみだなぁ」
好きなアーティストのライブならこんな風に思いますよね。でも、ここでエゴの茶々入れが入ります。
「でも当たらなかったら?人気のライブだし、行けるとは限らない。
この前は行けたけど、前は良い席じゃなかったし・・・」
はいストップ!
この時の感情に注目です。まあ大概こんな時は不快を感じていますよ。
この後どうするか、二パターンあります。
(1)「不安を感じてる!だめだだめだ!こんなこと考えちゃだめだ!
不安が別の領域に行って実現化しちゃう!今すぐ変えなきゃ!」以下ループ
(2)「不安を感じてる!不安を感じているっていうことは今考えていることは私にとって嘘・虚構なんだ。
なんだじゃあそんなこと考える必要ないじゃん。てか、ということは当たることは嘘じゃないなんだ!
やったーっ!!」
つい(1)を思考してしまいますよね。これを(2)にするにはどうするか。
どうするか。「感情システム」を信じるんです。あなたの中の感情システムに頼るんです。
感情システムは超超超高精度・高性能ですよ。あなたにとって好ましくない思考が出てきたら、
それがどんなに常識というエゴ的観念に覆い隠されていようとも瞬時に「不快」という信号を発し、
それは嘘だよと教えてくれます。それはもう百発百中です。
どんな感情も愛してみようということを画家さんがいつも仰られているじゃないですか。
それは、「不快」もあなたに正しい道を指し示している可愛いやつ、頼れるやつだからなんです。
不安はあなたを好ましい方向へ導くために、自動的になされるシステムとしてあなたに埋め込まれています。
ミトコンドリアみたいにw
それはそういうシステムなんで止められません。消せません。でも止める必要もないでしょ?
あなたがそれを正しく使えば好ましい方向を簡単に知ることが出来ます。
また、そう使うために埋め込まれているんだから正しく使えます。
あなたが崖の方へ歩いているとします。
すると、不快さんはあなたに「だめだよーそっちは危ないよー」というちょっとした嫌がらせをします。
それは不完全な言語ではなく、完全な感覚のメッセージとして届けられます。
その不快というシグナルをボーっと見るんじゃなくて、その「中身」こそを受け取りましょう。
モールス信号だって、光が単に「光」として届けられるわけではないでしょう?
光を使ったなんらかの「メッセージ」こそが、あなたが受け取るべきものです。
受け手が「まぶしいだろ!なにやってんだ!」なんて思ってたら一生メッセージは受け取れませんし、
受け手にメッセージが受け取られるまで仕事をし続けなければならない発信者は、光を発し続けます。
名無し
>>948
感情ナビについてはLOA(エイブラハム)の本をご参照ください。
私が感じたのは不快な感情そのものが虚構に基づいているものだ、と言うことでした。
本来ないもの、です。
ですからその不快な感情を「だた感じ、受け入れると」消えるのですよ。
幻想だから。
幸せ、はあります。
しかし不幸、はありません。
不幸とは幸せからでっち上げた影でしかない。
幻影です。
ある(充足)、しかない。
ない(不足)、はないのです。
これはひとつの考え方、ですが、いやな感じや気持ちになっても
「ああ。これは虚構なのかな」
くらいの軽い気持ちで対処するといいです。
何故虚構なのか。
既に答えは出ています。
「不快」だから、ですよ。
だから逆説的に(こんなことしなくてもいいですが)この「不快」にじっくり取り組んでみると、
「不快じゃん!これが答えじゃん!w」がはたと解るw
理屈じゃなくこりゃ嘘だ、と言うことが解る。
このへん、あまり深く考えずにこころに留め置いてみてください。
いつかそうだと思えますから。
不快な気持ちになっても「不快になる必要はないんだな」と思えるようになる。
その上でエネルギーとしての感情を抱きしめてやればいい。
>>919さんはこのあたりを気付いておられます☆
もうひとつ。
心配とワクワクした気持ち、不安と幸せの予感。
これは全く同じエネルギーです。
ただ方向が違うだけ。
心配と不安は「そっちじゃねえYOw」
ワクワクと幸せの予感は「そのままいけーw」
な方向であるだけです。
これはいつもお勧めしていることですが。
実験的にいつか心配の気持ちが来たときで結構です、その心配をじっと感じてみてください。
う~心配だ~うー・・・・・・・
暫くその心配と共にいてみます。
その間、自分の言い分や不満、文句を全部聞き入れてやってください。
それを否定しないで言いたいことを言わせておく。
その不安な感情を全部感じてみる。
10分くらいでいいです。
その10分で味わいつくしてみます。
最初は結構集中力が要るかも。
感情を味わっていると何故か「ほっと」した気持ちがやってきます。
味わいつくすと気持ちの平安が蘇ってきます。
思考から呼び出されるエネルギーが蕩尽(使い果たされた)されたのです。
終わった後、それまであった心配事を考えてみる。
するともう心配から来る不安な気持ちが湧かなくなっています。
そう、あなたは心配したかったのです。
で、十分心配を体験したから、そこで終わったのです。
こんな解釈でもいいですね♪
今度はそのエネルギーが方向を変えます。
勝手に楽しい方向へ向かいます。
勝手に、です。
こんな感じでやってみて。
>>919氏
レスありがとう。
でも苦しい感情で願望を思うのは嫌なんだ。
願望が浮かんだら、恐怖や苦痛や不足が押し寄せてくる時が多くて、でもそんなのって悲しいし…
スキな事を考える時くらい明るい幸福感を味わいたい。
でもずっと無限ループするんだよ!!!!
コントロールしたくて、執着にベッタリ抱きついてるのが自分でも嫌ってほどわかる!!
疲れたよ… 純粋な気持ちでいたいのに。
なんて幸せなんだろう、もう何もいらない。今が凄く幸せで涙が出る。
って時もあるけど、長くは続いてくれないよ。
名無し
>>928
おkおk、大丈夫です。
思考≠感情ということはわかるでしょうか?さらにはあなた≠思考、あなた≠感情ということも。
>願望が浮かんだら、恐怖や苦痛や不足が押し寄せてくる時が多くて、
この時、願望が浮かんだ直後に不快になるのではないと思います。
願望が浮かぶ→その関連思考が起きる→不快 ではないでしょうか?
この「関連思考」が生じ、さらにその思考があなたに「適さない」場合に限り、不快が出てきます。
ホントはもっと、なんかこう「在り方」みたいなものに則って快・不快が生じるんですが、
まずは思考とその流れが「在り方」だと思ってもらえば大丈夫です。
例えば>>909の
>→しかし本当にこのままで叶うのか?→・・・
の部分ですね。この時は不快を感じる。
逆に、この関連思考があなたに適していたら、快が出てきます。
>>909の
>→まさか手放せた?超楽!超楽しい!→
>嗚呼、なんて幸せなんだろう!既にあったんじゃん!私の望んでたもの全部全部!
の部分ですね。こう思考するときは快になるでしょう?
それはつまり、感情ナビ(システムって間違えていましたw)がその思考の正しさを裏付けしているんですね。
「その思考はあなたの在り方に適してるよっ!その在り方なら願望は実現するよ!」と。
まずは、感情や思考と距離を置くことを試みてはどうかと思います。ちょっとずつでいいので。
不快を感じているとハッ!と気付いたら、その時思っていた思考を観察してみましょう。
なんなら紙に書き出してみてもいいですよ。
で、それは嘘なんだということを認識する。最初は感情ナビを完全に信じられなくてもいいです。
919がそんなこといってたな、そういう考え方もあるのかなぁ、みたいな感じで。
そうすれば、少しホッとできると思います。それがあなたに「適している」から。
それに慣れてきたら、徐々に距離をとることが出来るでしょう。
その結果、思考や感情に支配されずに逆に包み込んであげることが出来ます。
ちなみに、何かを思考するとき
>→しかし本当にこのままで叶うのか?→・・・
のようなエゴの囁きが出てくることはもうしょうがないんですよ。
エゴ的思考に慣れているので、勝手に出てきてしまいます。私だって未だにちょこちょこ出てきます。
しかし感情が「それはエゴの囁きだお!」と不快シグナルを発して教えてくれるので、
エゴの囁きを見抜き、エゴがそれ以上暴走することを食い止めることが出来るんですね。
>>952で画家さんが更に詳しく仰ってますし、他の方法も示してくれていますね。
あなたに合いそうならば、このことを是非意識してみてください。
画家
919氏
これは私からのリクエストなんですが、良かったら固定になっていただけませんでしょうか?
氏のコメントは示唆に富んでいます。
私自身啓発されます。
無理にとは申しませんが是非お願いします。
↑なんという二律背反的な注文だwwwwwww
名無し
流れ豚切り失礼。
昨日今日と捻くれ者さんのレスまとめを見てて、試しに
「未だ叶っていない未来の自分になる」メソッドをやってみた。
そしたら、実は「叶っていない未来の自分」を許せていなかったことに気がついた。
そりゃそうでしょ、叶えていない現実、叶えられていない自分なんて認めるわけにはいかない、
そんな自分は許さない。そう思っていることに気がついた。
けど「叶っていない未来」にいる、不満ばっかり言ってるような許せない自分だって、
今ここにいる、そんなダメな自分を許すことができない自分だって、やっぱり自分なんだ。
だから、確かに常識的にだめな自分だけど、誰も許してくれないような自分かも知れないけど、
だからこそ、自分だけはそいつらを思いっきり許してあげたいと思った。
どんなに不安になってもいい、どんなに愚痴をこぼしてもいい、叶えられなくて、
「やっぱりダメだった、ちくしょう」って泣いてる自分も、自分だけは許してあげたいと思った。
「お前らみんな大好きだ!」ってw
そしたら、なんか気持ちよかった。
許してあげた自分が「ありがとう」って言ってきたような気がした。なんか、嬉しかった。
これが「認めて、手放す」感覚なのかって、「何があっても自分を裁かない」ってことなんだって、
何となくそう思えたんだ。
だからこれからは、もっとこのダメな自分を好きになっていきたいと思えた。
そしたらなんか、全自分が応援してくれているような、全身に力がみなぎるような感じがしてきた。
自分に愛を送ることが、こんなにも気持ちのいいことだなんて知らなかったよ。
「未だ叶っていない未来の自分になる」メソッド、おすすめかもしれません。
画家
>だからこれからは、もっとこのダメな自分を好きになっていきたいと思えた。
>そしたらなんか、全自分が応援してくれているような、全身に力がみなぎるような感じがしてきた。
>自分に愛を送ることが、こんなにも気持ちのいいことだなんて知らなかったよ。
統合、ですね。
いいお話をありがとうございます。
名無し
いつぞやのミュージシャンです。皆さんこんばんは。
最近、興味深い体験をしました。
友達を車で駅まで送る途中、濃霧に見舞われまして、
私は今まで「死」という感情?はとても恐ろしく感じていたのですが、
駅からの帰り、さらに目の前は見えなくなり、
「あ、死ぬな」
と思ったのです。
不思議と恐怖感などはなく、ただただ無感情。
むしろ分厚い霧の向こうの世界は、素敵な世界があるようにも感じたのです。
何でも作れそうな。
安心するような。
こう書くと危ない感じがしますがw
まぁもちろん無事にこうして生きてますw、
まさに「今に在る(過去も未来もない)」世界でした。
ちなみに、遠くの雪山にスノボに行っていた音楽仲間も、同じことを感じたそうです。
それ以来、今に在る、という基本を大切にしていたら、
些細なことも嬉しく感じるようになりました。
だから、今もワクワクしつつここに来てますw
皆さんもよい日々を。また来ます。
画家
いいお話をありがとうございます♪
その濃霧で前後裁断されたのかも。
名無し
画家さん
意識の上では、やはり今までどうしても「過去、今、未来」という概念があったんだなぁ、と。
体感というか、まさに「今、今しかない」という状態に置かれ、
どういう訳か「空」を感じ、「在る」という感覚も感じることが出来て、
きっとこれがトールの言うところの「沈黙」であり、108さんの言うところの「別の領域」なんだろうなと。
霧の向こうも後ろも、見えなければ存在しない。当たり前だけどハッとしました。
画家さんが素敵な作品を仕上げられるのを楽しみにしてます♪
画家
>意識の上では、やはり今までどうしても「過去、今、未来」という概念があったんだなぁ、と。
連続しているように感じますね。
我々は恐らくそれを選択しているんです。
ですから「過去、今、未来」の連鎖を否定することは無い、と思っています。
その上で「今を生きてみる」。
今、快くあろう、と意図する。
毎瞬、毎今、ですw
私はこんな風にして生きています。
108氏の過去のこのコメント、たまたまあるキーワードでヒットしたのですが、いいですよ~。
108
もうそれ以上、あれこれ思考でこねくり回すのは止めてください。
そして、以下のことを実践してください。
「私は私が『快』になる方向に進む。これは決定事項だ。
これ以外のどんな条件もさして重要ではない。
両親、彼氏…その他どんな人の意見も、その人達がどう思うかも、
私が快であることになんの関連もない。
彼らは私ではない。私の幸せを彼らが私に代わって経験することは出来ない。
私を幸せに導けるのは私しかいないのだ。
そして私自身が幸せでなければ、私が他の誰かを幸せにすることなどあり得ない。
だから、もう彼らについて思考を働かせることを止める。
自分の幸せを彼らの自分の対する印象に依存させるという無利益な行為とは縁を切る。
私は『私が快である方向』という指針で歩を進めていく。
他のどんな指針も採用しない。
その指針のみが、私も、そして最終的には周りの人たちをも
幸せに導くことになる唯一の指針なのだ」
これだけをガイドに進めてください。
あなたの場合は、立場的に八方塞がりのような苦しい状況に見えますが、
本当は誰もそれをあなたに強制していない。
あなたが敢えてそれを選択しているだけなのです。
だから、単純にあなたの選択次第によって、
その苦しい状況からは簡単に離脱することが出来ます。
色々な想いが交錯して難しいようなら、
まずはセドナメソッドで感情を解放することから始めてみてはどうでしょう。
解放がある程度進めば、状況を客観的に捉え、
最善な選択が出来るようになっていくと思います。
あなたは優しい人で、だから周りの人の気持ちが気になり、
結果的に自分がボロボロになるまで傷ついてしまうんです。
ですが、あなたが傷ついて喜ぶ人も、幸せになる人も一人もいません。
だから、自分を大事にしてください。幸せにしてあげることです。
あなたはそのために生まれてきたのだから、それを第一に考えてください。
>きっとこれがトールの言うところの「沈黙」であり、108さんの言うところの「別の領域」なんだろうなと。
瞑想なんぞしていると思考の向こう側に「沈黙の背景」を感じますね。
その沈黙の背景はいつでもどこでも変わらない。
これはその瞬間の全ての思考、感情を「見る」ことによって感じられる背景です。
どんなにマインドが揺れ動いていてもこの沈黙は依然として「ある」。
この背景が私、なのかも知れません。