☆心配事は願い事とはよく言ったもので、常に意識の焦点が見えています。
で、同じことは繰り返したくないのでこれからは心配しないようにしよう、とお考えかも知れません。
しかしなかなかうまく行かないケースが多いのです。
心配事を禁忌にする、と言うことで心配事が起こるのを演出するからです。
これからは心配しようがすまいが、私の願いは叶っても良い、と宣言してください。
何を考えようが考えまいが、私は幸せになっても良い、と。
こう宣言することによりあなたは禁忌を捨てます。
心配したら「また心配しているんだね、いいよ、いいよ」と。何を思っても良いんだ、と。
それで自分を許すことが可能になります。
そして「私は愛し合いたい」と願い、愛し合っている現実を許してください。
既に愛し合っている自分にトランスフォームしてください。
現実はいつも「あなた」にピントを合わせます。
あなたが現実を動かす必要は全くありません。
現実にピントを合わせさせてください。
兆候はすぐに現れてきます。
あとは楽しむだけ。
何もやる必要はありません。
やりたい事をやっていればおkです。
☆「現実にピントを合わせる」のではなく「現実にピントを合わせさせる」んです。
つまりあなたが現実を変えようとアプローチするのではなくアチラから変わる事を許す。
あなたはオーダーしたらそれを信頼し、ただ心地よくあればいい。
108式の手放し、エイブラハムのオールを手放す、と同じ。
許容し可能にする、も同じ。
以前は「私はこうあるべきだ!」「こんな現実がふさわしいのだ!」と行動し、
言動を重ねてきた私はいつもその逆の現実を見てきました。
「おまえはこうじゃない」と認識せざるを得ない現実が起こるのです。
何故なんだろう?頑張りが足りないのか、何が足りないのか俺には!とほぞを噛んだものです。
実に変なハナシですが、私がシュであり現実がジュウであり、いつも現実が私にピントを合わせているんだ、
と解った時、一切のもがきが消え、ただ私はこうある、と意図しただけでそうある現実が
展開し始めたのです。
私はこうありたい、と意図し、あとは楽しく快い方向へ向かえばいい。
何もすべき事はありません。
またあなたが何もしないでただそのまま「ありたいあなた」でいる。
するとどうでしょう?
驚くべきシンクロニシティが起こりまくる。起こりまくります!
それも一切意図せずに、勝手に、です。
目当てのおにゃのこにエレベーターでばったり会う、大事な人と道で出会う、
グッドなタイミングで何かが起こる、あなたが理想のあなたであることをしょうするような言葉を聞く、
態度を見る、何でもかんでも「あなた」がセンターになって周囲が動きまくる!
現実に合わせるのではないのです。
あなたに、現実は合うのです。
今日の標語
「現実は あなたにピントを 合わせてる」 ガガガ画家
(超初歩的な質問なのですが、「私はこうありたい」と意図し、108式だと
意図し充足を見るとか神様にお願いし、妙にワクワク、学研のおばさんまだかな的に
待ってしまうのですが、それは願望の実現を期待過ぎてしまっていけないのでしょうかね?
ピント合った?合った? もう合った?見たいな。
執着を手放せていないことになるのかなぁ?)
☆私たちはある程度意識と現実のタイムラグを受け入れていますので
学研のおばさんマダかな、はアリだと思いますよw
でも催促すると途端に主客が逆転する。催促とは現実への注文なのですから。
>ピント合った?合った? もう合った?見たいな。
ピントは常に合っていますよ。
驚くほど常に。
☆これはエイブラハムも108氏も一貫として伝えていたメッセージですよ。
現実が私(あなた)に合わせるんです、て。
ずっと私(あなた)に合わせてきたのですよ、この現実は。
私は以前この表現が掴めず、反応系に生きない、とかややズレたワケワカメな事を言っていたのです。
現実が私に合わせるために余計な事をしなければそれは早く展開します。
抵抗すると(催促、制御、攻撃、企みetcetc)それはスローになってゆくようです。
*
☆馬鹿にされたとき、感情が動くってことはエゴが騒いでいるわけじゃないですか、
で、そのエゴの騒ぎは本来の自分とは違うことを立証しているわけですよ。
感情ナビとエゴの関係はちょっと煩雑かも知れませんが、
何に付けあなたがネガティブな感情を感じているとき、ナビとしては
「本来のあなたとは違う思考をしていますよ」とインフォしており、
そのネガティブな感情の動きをもたらす思考がエゴの騒ぎだと考えればいいです。
カチンと来てしまったのならそれを受け入れることです。
カチンと来たのが事実なのですからw
その感情を否定すると感情が湧いた思考を肯定する事になる。
あ、感情が動いた!と自覚して即座にそれを受け入れる。
その動きを見ているだけであなたはそのエゴの動きを超越しているとも言える。
観察者になっている。
エイブラハムで行くとその感情がホッとするような思考にズラス。
その場合、この思考はエゴか?なんて考える事はありません。
受け入れる、ズラス。方式は違えど方向は一緒です。
☆ありのままのあなたになればあなたの魅力が100%発揮される。
これは自動的に発揮されます。
いろいろたくらんだり、コントロールしようと思ったりするとあなたの魅力にベールがかかります。
しかもあなたはそこにいなくなる。
つまりありのままでいないと勿体無いのです。
是非ありのままで振舞ってみてください。するとあなたの意図は現実の展開を連れてきます。
叶えるために何かする世界から物事を見るのをやめるんです
達人
認識がまた変わりました。
結局今までの認識が変わった方と同じようなことしか書けないけれど、
ちょっと感動したので、書かせてくださいね。
それはありふれた言い方になりますけど、
「この世界で完璧だったのだ。この世界を自分は選んでいたのだ」ということが
腑に落ちたということです。
不足のあるこの世界を「自分で望んで」選択していたのだ、ということです。
エゴからすれば「足りない!どうにかしたい!」と思うような世界ですが、
そもそもそういう世界を自分は作っていたんです。
だから変える必要もなかった。(そもそも変えられませんが)
エゴが「こんなの嫌だ」と物申すのは当たり前です。
だってわざわざそういう風にプログラミングしたんですから。
てゆうか、「不足の出前一丁!」と電話で注文しておいて、
いざ届いたら「なんだよこれ。」っておかしくないですか?
自分が完璧に世界を創っていたことを知って、
心の底から、自分やるじゃん、て思いました。
それと同時に、今まで、エゴと同化して
「どうにかしよう。なんだこの世界。コントロールしないと」と取り組んでいたのがばかばかしくなりました。
エゴはエゴとして仕事をしているだけなんですね。
そういうエゴすらも自分でプログラミングしたのかもしれません。
自分なんていないという感覚はわかりません。
けれど自由意志がないというのは良くわかるようになりました。
そもそも「不足のある世界」を頼んでおいて、それが完璧に出来上がっている中で、
何も変えられないし、変える必要がないということです。
「ああ、また意図したとおりに完璧にできたなぁ」と感激して
他の世界が良かったらただそっちを選ぶだけです。
選ぶ、というと何かするような印象を受けますが、
エゴや不足が湧いてきたら、それをスルーして(これが選択)
常に満たされていればいいだけなんだと思います。
エゴが想像する以上に素晴らしい世界が広がるだろうと確信しています。
長々書きましたが、端的にいうと、
「願うのをやめたら願わないで済むような世界が広がっていた」ということです。
名無し
世界は自分が選んでると言っても
あなたはその自分が選んでる「世界」ってどこまでの範囲だと認識してますかね?
それと
>>431の物事の関連性が薄れてきて突拍子もない現象が起きたというのは
時間の法則や物理法則を超える体験でもしたんでしょうか?
達人
あるとき願望が叶わなくてイライラして、なんでイライラするのかと考えたら、
願望が叶わないと絶対にダメだと設定してる自分に気がついて、
その叶えようとしてるものの正体 (不安、分離)に気がつきました。
そこから世界を見ていたことにも。
エゴがいてもそのエゴに気がついていればいいんじゃないでしょうか?
で、できるだけ思考は働かせず、静かな場所に浸る時間を増やす。
でもこれも、願望を叶えるためにという視点でする限り、エゴの世界のエゴによる営みなりますが。
私にもまだまだエゴはいます。けれど、大元の前提が変わったんですよね。
叶えるために何かする世界から物事を見るのをやめたんです。
だからエゴがいても、どっちに意識を置ているか?だと思います。
それから同時に、物事の関連性も薄れて行きました。
当然、現象の方も、突拍子のないことが起きたりしています。
いろいろ、関係ないから。
願望は勝手に叶うもの。
もっといえば、不安をやめる。
これがチケットなんじゃないかと思ってます。
>>431ってなんだ?と思ったらずいぶん前に自分が書いたものが…
気にかけていただき、ありがとうございます。
世界の範囲ですが、とりあえず自分とかかわるものすべて、
他人から出た言葉・他人から受け取った態度なんかも、自分だと思ってます。
(正確に言うならば、他人の口や態度を借りて、自分の持っている観念が出てくるという感じかな)
隣の家の車や店先のパソコンを自分だと言い、所有という観念を突破できるほど、
まだ私のエゴは、世界とは一体化していないかもしれません。
そこの部分はうっすら「そうなのかもなぁ」と思う程度です。
>>431に書いたときにも、突拍子もない出来事は経験しました。そのときに起きたのは、
・Aだと思っていた事象が実はBだった。
それも最初からずっとBで自分で勝手に勘違いというか
思い込んでいただけだという風に現実がなりました。
他にも、あんまり具体的に書けないけれど、
・お金が欲しいと思ったら、給料が半年前まで遡って上がり、その差額をもらえた
・あるお金を支払ったが、何やら法制度が変わってむしろ支払った分まで戻って来た
物理原則・時間の法則が崩れたというよりは、
思考の範囲外(自分の想定外)の出来事が起きたという感じでしょうか。
>>431のあたりでは、「エゴから世界を見ていることに気が付けた」状態だったかな。
エゴと同化していると何をしていても「叶えるために」になるところが、とても辛くて
一切投げ出したときに、ちょっと現象が動いたのを覚えています。