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備忘録

701と良い言葉集5

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701と良い言葉集5

☆私もハッと気づきました。>>私は私を愛するために生まれて来たんだ。まさしくそう。ありがとう。

☆だって、宇宙に願わされたんだから、マルチアングルで見ると、あなたが受け取ることは決まっていた。
余計なことを考えなければ、すぐに叶うのに!
宇宙のやろーに、かってに願いを抱かされているだけなんだから、その願いに「難しい」も「やさしい」も「ひったくれ」もないのに。願わされたままに、叶わされたんです。まぁ、結局、宇宙の、一連の流れを、邪魔せんといて欲しいとです。宇宙はあなたに願わせて、叶わせるだけです。願いが叶うために、唯一絶対に必要な条件は、願うことじゃ。あるから願うのだ。

☆やっと、暗闇を抜け出たような気がします。苦しかったときは 神でもなんでもあらゆるものを 憎み、心の中で罵倒し、唾を吐きかけ 神なんかいるわけない どうしてこんなに苦しめるんだ もう殺してくれ、と何百回本気で願ったことか…とても長い長い間 苦しかったです。

だけど、抜け出してからわかる。
本当の幸せを感じて生きるには その前にきっちりやらなきゃいけないことがあるんだ、ということを。
苦しんでいるとき すべてのものを憎み、呪いたくなるし 何も心には響きません。
この大丈夫という言葉すら 私のこの辛さがわかるか!と呪いたくなるほどに苦しかった。
でも、今ならわかる。
苦しんで苦しんで苦しんでいるときは、死んでいくエゴの断末魔だったということ。
苦しんで苦しんで苦しんでいるとき すべてが完璧にうまく行っていたんだ、と。
全然 抜け出せる気は 寸前までまったくしませんでしたが、抜け出られましたよ!
いくら苦しんでも 何も変わらない、少し楽になった気がしてもまた次の苦しみがやってくるだけ…
ひたすらこれの繰り返しじゃないか何も 何ひとつ変わらないじゃないか!と思っていた毎日でした。
あることをきっかけに「あ、変わらないはずがないんだ そっか、変わるんだ」とふと思うようになって 本当に変わってきました。今、苦しんでいる人に今、少しだけ気が楽になる程度の気休めな言葉は通じないかと思います。
私はそうでした。

自分で、その道を行くしかない。その苦しみを抜け出たとき どう感じるか 自分で知る以外ない。
いつかはわからないけど、変容するときは必ず訪れますよ。
…って言われても 苦しんでたときは 全然〜そんなときが来るなんて気はしませんでしたけどね。
わかんなくていいです。自分で知ることができますよ 必ず。

☆目を使って、花がそこにあると認識する。花がそこにあると認識したのは、「わたし」である。
思考を使って、考え事をする。考えついたものを認識したのは、「わたし」である。
言葉を使って、まだ見ぬ何かを説明する。概念化されたソレを認識したのは、「わたし」である。
見たのはわたしで、考えたのはわたしで、納得したのはわたし。全ての認識の先に、認識主体である「わたし」が確固として存在する。全てを認識するモノこそ、わたしである。

一方、ベクトルを逆に向けて、「わたし」を探すと、絶対に見つからない。目で見たのが誰なのか?考えたのは、納得したのは、誰なのか?その先には、いったい誰が居るのか?確固たる誰かを、そこに探し出すことは出来ない。それなのに、日常生活で僕たちは、全ての起点に「そんな誰か」を据えている。「わたし」が悩むし、「わたし」が悲しむし、「わたし」を損させないように努力するし、「わたし」が傷つかないように必死に守る。なんてあやふやな起点なんだろう。

既に撮られたDVDの中にあるマシンガンは、絶対にDVD鑑賞室で見ている真のわたしを撃ち抜くことは出来ない。流れ弾が当たれない場所に、真のわたしは居るのだ。究極に安全な場所で、勝手にDVDの中のナニカを、「わたしは、○○である」と自己と同一化し始めて、マシンガンに怯えているのだ。自己は、本来、ナニとも同一化してはいけないのだ。というか、同一化出来ないのだ。

それなのに、すぐに「わたしは、○○である」と、ナニカとくっ付きたがる。ナニともくっ付かず、ただただ、それらを見つめる本来の場所に戻れと。目を覚ませ!と。
ただ、その、真のわたしの場所に戻ることは、非常に難しくて非常に簡単である。例えば、現実に、目の前にマシンガンを持った変質者が現れたとしよう。
そいつは、いますぐにでも撃って来そうな勢い。真のわたしについて深く学んだあなたは、「っふ。真のわたしはそのマシンガンでは傷つけられない。」と言って、そのまま撃たれるべきだろうか?
怯えず、逃げす、ただ見つめる場所こそが、真のわたしの場所だろうか?

違う!ぜんっぜん違う!真のわたしは、全ての全てをただ認識する場所に居るのだから、ガタガタと恐怖が湧いて来て、必死こいて逃げ出す、が起こるなら、それを見つめればいいのだ。真のわたしは、撃たれようとしているソイツじゃないのだ!!ソイツは、ただの、認識された対象物(登場人物)だ。ソイツが、何を演じようと、真のわたしには無関係なのだ。ソイツが、ガタガタ怯え出すなら、それを見てればいいし、ソイツが、怯えないフリを始めたなら、それを見てればいい。ソイツの考えから、感情から、おこないに至るまでの全てを究極に見つめる。
そこに、本来のわたしが居るのだ。

だから、究極の、究極に全てを見つめる場所に戻るということは、これまでと、何一つ変わらないことになる。
これまでも、ソイツとはまったく関係の無い、絶対に安全な場所で、ソイツを見つめていたのだから。
これまでと何一つ、変わらない。だから、難しく考えれば難しいだろうし、簡単だと思えば簡単だろう。
でも、これまでと何も変わらないのかもしれないけど、全てをただ認識する場所に、真のわたしが居るという事だけは覚えていて欲しい。そして、認識出来たモノ全ては、絶対に真のわたしじゃ無いということも。

あなたは、あなたが見る事の出来る全てでは無い。あなたは、あなたが聞ける全てでは無い。
あなたは、あなたが感じる全ての感情では無い。あなたは、あなたが説明できる全ての概念では無い。
あなたは、それら、全ての全てを、認識する側にいる。
だから、「わたしは○○である」とすぐにナニカとくっ付くのを辞めればいい。
「わたし」は、絶対に説明できないのだから。あなたは、説明できたその全てでは無い、決して。
ということは、あなたは、「そのままで良い」のだ。
そのままで良い、というより、「そのままで良い」以外に選択肢が無い。
その、見ているDVDの内容を、「そのままじゃなくする」ことは、DVD鑑賞室のあなたには出来ないのだから。だから、あなたは、そのままで良いのだ。
努力しても、努力しなくても、何をしても、何もしなくても、「そのままのあなたで良い。」

あなたは、そのままで、もう、ソレである。あなたは、すでに、もう、ソレである。
これまでも、今も、これからも、そのままのあなたで、大丈夫。
何をしても、何もしなくて、あなたが在るだけで、大丈夫。
何をしても、何もしなくても、あなたはそのままで大丈夫。
だって、DVDの中の「あなた」には何もできないわけだし、DVDを見ている真のわたしは、誰にも破壊できない存在。もう、これ以上無いってくらい、そのままで大丈夫。今後、何が起ころうと、未来永劫、その起こるままで大丈夫。
「我、既に、ソレなり。」
明け渡しの状態になるために、「わたし」に出来ることがあるとすれば、「このままで大丈夫」と何度も何度も、語りかけること。どう頑張っても、「大丈夫じゃ無い」状態にはなれない、わたしたち。しつこいくらい、言うけど、「あなたは、そのままで、大丈夫。」そのままじゃ大丈夫じゃ無いかもと明日、思っちゃっても、そのまま、思っちゃったままで大丈夫。絶対的なる、大丈夫。

☆知ること、見ること、気付くこと。この連続によって隠れていたエゴはどんどん照らしだされ、浄化(源へ統合)されて、シンプルな波に戻る。

☆最初に状況が変わるのではありません。 まずあなたが内面で変わり、状況に対してそれまでと違う反応をするのです。 たとえ外側の状況が同じように見えたとしても、です。これが「鏡に対してまず自分が笑顔になる」ということです。

☆今もう既にあるをエゴでわかろうとすると待ちになっていつまでもないんだ。
エゴに見えなくても理解できなくてももう実現してるんだよね。理屈じゃない。エゴは見えないから仕方ない。

☆とにかくあなたはあなたを愛してやって下さい。
「自我を愛することじゃないよね?」ってもう、自我を愛するのでもそうでないのでもどっちでもいいから、色々思う自分を「それでいいのだ」と許し受け入れて下さい。
そして分からなくなっても「分からないのだな」と受け入れて下さい。もうエンドレスにそうして下さい。
分からなくなったらここに書き込み、外に答えを求めても、自分を見つめることだけは放棄しないで下さい。ああ私は分からないのだ分かりたいのだなと。その繰り返しです。それを体験することなのです。

☆人間は充足よりも不足に目が行くようにプログラムされてるから意識して変化に気をつけてないとエゴに根負けしちゃうよ。
自分に関して、「自分は力不足でダメ」というのが自分のデフォルト設定になってないか?
だとしたら、それこそが力不足で何やってもダメな状態になることを望む行為だ。
「自分は力不足でダメでもそんなの全然関係ねえ!自分はちゃんと生きてるぞ!」って
開き直っちゃうんだよ。他人が進んでようが自分が遅れてようがそんなことは全く関係ない。
あなたはいつでもOKだよ。

☆自分と思い込んでる自分は錯覚と、私は思います。自分などいない、とすら考えます。でも自分がいると錯覚して生きている。これが人間だと思います。私もそうです。「俺はモテる」。そう、これも錯覚です。

無数にある錯覚、観念。しかし、すべてが錯覚なら、味わいたい錯覚を選ぼうと。
どうせ私は人間。目の前の現象が錯覚と知っていても、あまりのリアルに「本当だ」と信じ込むんだろ(笑)。
ならば「モテる俺」という幻想を自分の真実にしよう、と決めただけです。
どうしたらモテるか?とか何も考えません。十人に振られようが、「俺はモテるヤツ」。
勘違いじゃね?と言われても、そうかもね、しかし「俺はモテるヤツ」だから、別にいい。
錯覚だろ?自分はいないんなら俺もいないんだろ?矛盾してね?
うん、矛盾してるね。「でも、俺はモテるヤツ」(笑)。これは努力ではなく認定です。

☆今のあなたはダメでも力不足でも、現在の処遇に不満があっても、全然OKなんだよ。それでも今のあなたは自分が自分というだけで猛烈に存在価値がある。自分が価値ある存在なことに理由も根拠も一切いらない。そう割り切るの。

☆《意図が湧いてきた瞬間に「投影」である世界=自分は確実に変わるのです》
だから、もう、目に映る世界は全て叶った世界、今、目に映ったものは、「叶ったから」こう見えたのだと、決めてしまえ。それが、エゴ的に見て全然願望と関係ないようなことでも。
取り消したりしなければ世界は叶えてくれている。

☆その「寂しい」「はぶられてる」「何で?」と不足のほうに誘導しているのは誰でしょうか。天使と悪魔という例えがよく漫画なんかでも出てきますよね。不足を促してるのは悪魔=エゴ、思考なんです。
エゴは問題を解くのが大好きなので答えが「ある」と都合が悪いんです。だから「ない」ほうに誘導します。
ちょっと現実に不足っぽいものを見つけたら「ほら、無いでしょ?」と言ってきます。悪魔の囁きですね。ですがあなたは友達だと思っている。では彼女たちは友達です。誰がなんと言おうと友達です。

あなたは「ないよー」の言葉に同調して「ない」を見ています。もしかしたら何か事情があるのかもしれないし、タイミングがずれただけかもしれない。なのにあなたは「疎外されている」を選んだ。どの選択肢もあったはずなのに。あなたは常に選べる立場にいます。現実は目に見えているけど、実は見えていないものも多々あるのです。見えないものを予想して不足に結びつける必要はないんです。

☆まだ納得できなくても、その分離感はエゴから出たもので、本質では幻です。切り離して離れたところから見ようと思えば見る事ができると思う。思考や渇望自体はエゴというものから自動で起きる現象で、自分の本質の意識とは関係ないものです。どんなにリアリティがあって苦しくても、却下してください。
あなたの本当の意識は、エゴからの思考を客観的に眺められるものだし、何からも分離していません。私のさっきのレスも、あなたの世界のもので、あなたのものです。
私もほんとつい最近まで、ねぇよ!なんでこんなにがんばってるのに叶わないんだ!!わかったと思ってもまた無い感覚に戻る。。私がなんか悪いことしたか!?このままなんて嫌だ!!!って、しにそうな感じだった。
で、わかった!世界は愛やったんやーとかまとめブログ貪るうちに頭で理解できたし、体感もすごいの何回もきたけど、なんかの拍子に戻って死にたくなってた。
で、なぜ戻るかって、まぁわかった後からの後付だけど、体感しても、その意識、別の領域を信頼しきれてなかったから、怖くて戻ってたんだよね。

で、この意識を信頼した流れとしては、桑田さんブログとか自己観察さんとか、とにかく自分にとって心地いい文章をとにかく読んで、読みながら実践、体感していくことを繰り返した。
特にエゴがまだ強かった頃は、自己観察さんのブログずっと読んで、エゴからの声から遠くに身を置き、その状態の時に感じる静けさを時間をとって意識的に感じようとしてた。
そのうちそこで感じるものが心地よくなってきて、大きくなってきて、自分を取り巻く世界に溢れ出てきて、それを世界すべてに向けたら、世界は自分だったって実感した。
最初は意識的に、苦痛が伴ってもエゴからの声から引いた場所にいるようにするほうがいいと思う。
それが蓋になって苦しいようなら、ひたすら自愛かな。

エゴからの声は無視すると苦しいかもだけど、リアリティを与えているのはあくまで自分で、リアリティを取り下げることが出来るのも自分です。その事に気づいて、乗っ取られないでいてください。
そうすると、自分がエゴの立場でも、それを見る大きな意識でも、どちらでも選ぶ事が出来るから。
苦しい時は有限です。そこにリアリティを与えないでください。
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