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備忘録

701と良い言葉集4

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701と良い言葉集4

☆『カガミは先に笑わない。』って。「カガミを笑わせたかったら、先にこちら側が笑いなさい」でしょ?
どう頑張っても、同時。どう頑張らなくても、同時。カガミ(現実)とあなた(思考)は、同時。
一瞬でも、違うモノが映ったりはしない。あなたの考えと、現実は同時!
なにか証拠となる出来事が起こったのなら(カガミに先に映ったら)、幸せだと認めよう。
現実に何かが出たら、それを見て、幸せだと言おう。「さぁ、現実よ、先に証拠を見せたまえ!」は、絶対に、無理。同時だから。

現実、先に、映せない。現実、あなたの信念より先に、何かを反映出来ない。
カガミ、映ってる人より先に、前髪直せない。でも、不幸なカガミを見ながら、カガミなんか気にせず、一気に、「幸せじゃ!!!」っていう宣言はハードル高いから、いつも勧めてるのが、徐々に勘違いパターン。
「あれ、つまらない日常の、この部分、ちょっと幸せっぽくね?」
この状態!これを、積み重ねて行って、結局、カガミより先に、「私は幸せだ!」に成って欲しいとです。
カガミに映っているモノ(現実に展開していること)なんか気にせず、先に幸せを宣言して欲しい。
先に、「幸せ」と宣言して欲しい。

☆それこそが、エゴのループなんだよ。ループから、抜け出すのは、簡単なんだ。いま、宇宙を信頼するんだ。いま、いまという現状を信頼するんだ。今あなたがいるところは、今あなたがいるところでしかないんだ。
それ以上でも、それ以下でもない。今いるところが、今いるところ。それだけ。

たから、「普通席にしとけばよかったー。」って言ったら、結局、また、いま、宇宙を信頼していないことになるんだよ。宇宙を信頼するということは、いま、(いろいろあったけど)、自分がいるところが、完璧だと気づくことなんだ。いま、(いろいろあったけど、)グリーン車に乗っているということを、信頼するんだ。
ここでまた、宇宙を疑ったら、ループするだけでしょ?いま、(いろいろあったけど、)完璧なの。

だから、あなたが、いま、どんな場所にいようとも、その場所に運んでくれた、宇宙を信頼すれば良いよ。
宇宙を信頼するということは、そういうことなんだ。いま、あなたは完璧な場所に、完璧なタイミングで配置されています。たとえ、どんなにひどい場所に見えても、いま、全てが完璧です。いま、「いま」を信頼できないと、いつまでもループしちゃいます。
いま、あなたがいるところと、いるタイミングは、宇宙の偉大なる計算の結果であり、完璧です。
例え、どんな場所にいようとも、宇宙に計算ミスはありません。「さっきまで、エゴで生きてきて、エゴの計算のもと、ココに運ばれたから、ココはダメな場所では?」って思ったら、またループしちゃいます。

エゴが、エゴの計算のもと、あなたをその場所に運んできたことも、宇宙の偉大なる計算の結果の範囲内です。
いま、気付けば、いま、そのことに気付けたら、エゴの計算ループから、抜け出せます。それが、悟りです。
だから、宇宙を、いま(どんな場所にいようとも)完全に信頼することです。エゴは無視。

☆>今すぐ自分が受け取って良いと決めてるだけで良いのでしょうか?

仰るとおりです。「許可する」とは、文字通り「自分にそれを許す」「その資格がある」と認めることです。
お金に関することだけでなく、例えば「何かを得たい」「何かになりたい」「何かをしたい」といった願望を持ったときに、心のうちのどこかで
「今の自分には無理だろう」「自分にそれだけの価値は無いだろう」「この条件を満たさないうちは・・・」
という観念があるとたいていその願いは叶いません。

これが、「許可できていない」状態です。根底には、「罪悪感」や「劣等感」があることが多いです。
だから、「頑張って何かをしなければ、何らかの条件を満たさなければ、そのままの自分ではそれを受け取ることができない」となってしまうのです。「自分に許可する」とは、その反対の見解を持つことです。
「何ができていようといまいと、今どんな状態であろうと、自分はそれを得ても良い」
「それを得ることは私の当然の権利である」
これだけをはっきりと認めることです。

ただ単に静かに心の中で宣言してもいいですし、例えばイメージの中で第三者(神?)となってあなた自身に「お前にそれを許可する」と宣告してもいいと思います。やり方はそれぞれしっくりくる方法でいいと思いますよ。
要はその認定を持ち続けて決して覆さないことです。許可できる度合いが進むほど、あなたの状況にも変化が現れると思います。

☆あなたの世界で真に価値がある存在はあなただけです。あなたしか存在していないからです。
他はすべて投影だからです。(厳密にはあなたが自分だと認識している個体も投影ですが)あなたの世界に現れるすべては、あなたの内部から出てきました。
だから、もともとはあなたのものです。他人が受け取ったように見えても、あなたが受け取ったと同じことです。

エゴは「ちょっと待て!自分が受け取ったと同じと言われても、現実にはそれを所有していないし、通帳の金額も増えてないよ!」と抵抗するかも知れません。
あなたが今見ている世界ではそうかも知れません。あなたがそう決めているからです。
だから、今すぐ「本当はそれを受け取ったのは自分自身だ。自分にはその資格がある」と決めてください。
あなたの世界にあなたが「お金」を生み出した。そして、あなたの内部からの投影である他人がそれを受け取った(ように見えた)。近づいているんです。もう少しです。

誰かがお金のことで考えられないような幸運に恵まれたのを見聞きしたら、それをあなた自身のことのように喜んでみてください。先に喜びを爆発させてください。順番なんてどうでもいいんです。そして、どうか遠慮せずに受け取ってください。「もうすぐ私の番だ。今までは自分で許可できていなかっただけだ。私にはもう準備ができている」力強くあなたのなかで意図してください。そして、使うときは喜びと共に使ってください。
あなたがその循環を回すとき、あなたとお金との関係は一変するでしょう。

☆あらゆる人は、あらゆる命は、この永遠の祝福の中にあり、最初の最初から救われています。
現象としての世界が、たとえどのように見えようと、根っこには、ただ歓びだけが流れています。
いままで、いったい何から何を守ろうとしていたのか。外側もなく、内側もなく、たったひとつの大いなる意識が、自身に仕掛けた巧妙なゲームでした。完璧なトリック。壮大なる冗談。

いつでもどんなときでも、大いなる私は、一瞬も君を見失うことなく、限りない愛で、君の存在を丸ごと包んでいたよ。君を罰しようと思ったことなど一度もない。ただ君が幸せであることだけを願っていたんだ。
そしていつの日か、君がここにたどり着くことを、いつも、いつも、待ち続けていたよ。
いままで人生で起きたあらゆる出来事は、すべてこの目覚めの瞬間のために用意されていたことでした。
憎んだあの人も、優しくしてくれたあの人も、みんなこの気づきを起こすために存在していてくれていたのです。
何一つ偶然はなく、何一つ無駄もなく、完璧な筋書きの中で進行していました。
自分が生きていたんじゃなくて、生かされていたんです。
自分がやっていたんじゃなくて、事は起きていたんです。
だって、いまやっていることが何であれ、それが天命だからです。
人生には、こうでなければならないことなど一つもなく、こうでなければならない自分もありません。

☆「今」行っていることを受け入れると、毎瞬毎瞬、自分を愛することになる。
と書きました。なんとなく書いたんですが、そのことを改めて受け入れてみたら「すごいな」と感じました。
ただ座ってるだけでも、「今」座ってるのなら、その座ってる自分は無条件に全面的に、許され、肯定され、受け入れられ、愛されてる。過去がどうだったとか、自分はこういう人物だとか、未来がこうなりそうだとか、そういうのは全部関係ありません。

目の前のものを見ている今。聞こえてくる音を聞いている今。何かに触れている今。
今「それ」が起こったのなら、それが自然で完璧ということです。
自分が、無条件に許され、愛されてる。私もあなたも、全ての存在が毎瞬 愛されてるなんて、本当にすごい。
毎瞬、愛されてるなら幸せしかないじゃないか、とすら思いました。
その瞬間の愛を実感しているときは、観念も、傷もなにもかも消えているのかもしれないとも思いました。
「今に在りなさい」「今にくつろごう」「今、悟りなさい」。あらゆる人が「今」を大事にしようと言ってきたのは、常に「今」、愛と幸せがあるからなんですね。

☆何かしら心配事がある場合、それに(心配事に)気付いているものに気付けば、心配事は解消されます(何か日本語が変)
つまり 心配事←←←気付いてる何か であります。「気付いてる何か」は別に心配していないので、心配事は無くなりました。心配を無くしたいという願望は、まさに光より速く実現しました、おめでとうございます。

何度か書いていますが、そのうち心配事と気付いている何かという区別も消え、全ては一つになります。
が、ここで出てくるのが「心配事と一緒になったら結局心配事ってあるんじゃないの?」という疑問であります。
しかし、心配事とは「架空の自分」が心配しているのであって、架空の自分は文字通り架空なわけですから、架空の自分が関わる事は全てフィクションです。

つまり見ているもの、感じているもの、触っているもの全てがフィクションであります。
夢を見ている時も、夢の中のモノは全てフィクションです。
以前「覚醒している時も寝ている時も、結局は同じ」的な事を「それ行けAさん」で書きましたが(あれ、そういやAさんてどこ行ったんだろう)文字通り同じなのであります。

☆最後にも書いたように、世界=自分なので、自分で何で叶うかも決めるのも手かと。
メソッドやら色々あるけど、1つやって叶わないから次は〇〇試す、とループにはまるのではなくて何かメソッド使うなら、「自分はこのメソッドで叶える」と決めて実行すれば良し。
実現までに時間かかることもあるだろうけど、そこで「叶わない~次はどうすればいいの~」ではなくて「いや、これで叶うから」と決め、自分のメソッド実行のみ。私のようにメソッドいらない派は「叶う」と決めるのみ。

くどいけど、「世界=自分。自分で全て決める」。この2文に尽きるので>>504みたいな質問の意味すら分からないです。確信を持つことが願いなのか?ならば「確信を持つ」と決めるだけ。
そもそも確信持つって決めることでしょ。
朝起きて「今日はピンクのスカートをはいていこうと決めた」
「今日はこのピンクのスカートをはいていくと確信した」は同じこと。毎日会社や学校に来ていく服を自分で決めれるのなら、自分の世界も自分で決めれます。人にイチイチ聞いたり、答えを委ねる必要なんて全くなし。

☆エゴを手放すというのは、自分の思考を捨て、全てを流れに委ねることです。
もう考えない ということです。何が正しいのか 考えていることがエゴです。
何が正しいのか考えることを止めると、世界が無秩序になるのではないか という恐れから 思考を手放せないのです。無秩序になるのではありません。自然の秩序に戻るのです。
もう考えるのはやめてもいいんですよ。大丈夫です。 自然の流れは想像以上に壮大で完璧なのです。私たちが想像する以上に、個人の自力で構築する以上の完璧な結果をもたらします。 そのことを信じられるかどうかです。

☆思い込むんじゃない。何もかもが思った通りになっている事に気付き、認め、そして受け入れる。
エゴの判断で都合が良い事だけを『叶った』、悪い事を『叶ってない』と分別していると、『既にある』がまるで見えない。

☆起こってきた苦しみから逃げないで、何も考えないで、じっとしている。自分の中に色んな考えや罪悪感なんかが、浮かんできても、それもそのまま眺める。その苦しみそのものを味わう。そうすると、大きな気づきが起こるんですよね。
「この痛みはあなたを惨めにさせるためにあるのではない。痛みはあなたをもっと気づかせるためにある!
そして、あなたが気づくと、惨めさは消える」(OSHO)
苦しみの中心にいると、苦しんでいる私を見つけるのでなく、それを見つめている静かな自分に気づいている。
それが、何にも影響されない純粋な「空」である自分。それを気づかせるために痛みはある、んですね。

☆>気付いた!やった!って叫んでるのもエゴになるよ。だから皆気付いただけで終了って言ってる
まさにここで躓いてました。気付いただけでいいのかー?って。でもそれもエゴだったのかと。
あなたに救われました。

☆「宝くじなんて、どうやっても当たらないんじゃないかって疑っちゃいます。」というお便りを頂きました。
あなたは、疑うことなんて出来ないよ。前も言ったけど、Aを疑ったんじゃなくて、Bを信じたんだ(選んだんだ)。
「いつでも私は何かを信じている(選んでいる)」。
そう気付けたときに、人生の主導権を取り戻せる。自分が選択している立場にあることがわかるから。
宇宙を信頼できるから。宝くじが当たることを疑ったんじゃなくて、宝くじに当たらないことを信じたんだ(選んだんだ)。自分は、いつでも何かを100%信じてる(選んでいる)。やっかいなのは、(当たらない可能性を信じた自分 )を疑うことに起因する。自分はいつでも何かを信じていて、自分が信じたこと(選んだ事)のみが現実化する。
「いつでも自分は何かを信じている(選んでいる)」ということを信じることが出来ないから、まるで自分以外の力が、自分の人生に作用しているように錯覚する。自分の周りに起こっている全てを認める。自分がいつでも何かを信じてるという事を。自分がAを疑ったんじゃなくて、Bを信じたという事(選んだ事)を。

☆そう、それは『おまい』が生み出したモノなのだぜぇ!(´・ω・`)9m ギャーン!!
つまーりだ。おまいが軽やかであるか重苦しくあるか。おまいが幸せであるかそうでないか。
それは全て『おまいが決めている』というコトなんだぜ。おまいが『決めてイイ』コトなんだぜw
それが『自分に許可を出す』というコトなのだぜ。そしておまいはもうすでに『許可』を出した、というコトなんだ。もう状況に自分の幸せ加減を決めさせるのはやめて、軽やかでエクスタシーに満ちた人生を歩むがイイのだぜw

☆とあなたのエゴは騒ぎます。
そして現実(に見える世界)の圧倒的なリアリティの前にあなたは絶望感を覚え、エゴの策略に屈してしまいます・・・
「やっぱりこれが現実か・・・いくら想像の中で幸せになったところで現象化が見えなければ意味が無い」
ここでストップしてくださいね。あなたがこの時点で何をしているかというと、
「でも現実には付き合えてもいないしあの人には他の恋人が・・・」を確定させてしまっているのです。
せっかく立ち位置を変えて、好きな人と幸せになっている自分になったのに、またエゴの罠にかかってそれを取り下げてしまっているのです。

過去の記憶を持ち出してきて、「叶っていない」に延々と真実味をプラスし続けている。
これではどちらがあなたにとってリアリティをもつかはお分かりですよね?現実(に見える世界)に圧倒的なリアリティを持たせたのは他ならぬあなた自身なのです。現象化が先ではないのです。
あくまで現象化はあなたの内面の投影、あなたの内部の想いが先にあるのです。
なので、あなたが内面で感じている幸せと周囲に見えている世界とどちらを真実だと判定するかです。
内面を取ればそれは外に見えている世界に反映されます。外の世界を取ればこれからもエゴによって振り回され必死にリアクションを取り続けることになります。そういうことですよ。
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