5 「罪悪感」と縁を切る
「罪悪感」とは、純粋な形の過剰ポテンシャルである。
あなたが悪い行いをし、それを認識し、「罪悪感」をいだくと、ポテンシャルが作られる。
そして良い行いをし、誇りを感じても、やはりポテンシャルが作られる。
「罪悪感」は、必ず罰を受けるシナリオを用意する。
残念ながら、良い行いを誇る感情も、褒美ではなくて、罰をもたらす。
良いふるまいも悪いふるまいも、「平衡力」にとっては等価値であり、ただエネルギー場において発生した異質なものを取り除こうとするだけなのだ。
「罪悪感」というコンプレックスは、人生をひどく害することがある。
もしあなた自身が罪を犯したと思わないならば、誰もあなたをあえて裁こうとはしないだろう。
しかし、あなた自身が自分を裁判にかけたがために、他人はあなたを裁くことになる。
もしあなたに「罪がある」のであれば、あなたは罰を受けることに潜在的に同意していて、それ故にあなたは恐れるだろう。
もし、あなたが「罪悪感」を覚えるならば、略奪者やならず者にあなたを襲撃する権利があることを潜在的に同意していることになり、それがためにあなたは恐怖するだろう。
劣等感を抱くそもそもの原因とは「罪悪感」である。
最初からあなたは、とにかく自分で罪を引き受けようとする気持ちを持っていて、自分を他者と比べつつ、他者があなたに対して優位に立つことを容認している。
他者にその権利を渡し、他者があなたよりもましだと考えることを容認したのは、あなた自身であることに気づいていただきたい。
あなたを説教したり操ったりしようとする人たちの欲求は、他人を低く見ることで、自分の立場を確かなものにしたいという願望から生じている。
彼らは心がつねに疑惑や自信のなさに苛まれているため、他人を犠牲にすることで自己肯定へ向かおうとする。
もしあなたが誰にも害を与えていないのなら、たとえ何に対してであれ、誰もあなたを裁く権利は持っていないことを肝に銘じるべきだ。
皆の前で自分を非難するべきでもないし、自分を弁明するべきでもない。
自分の存在意義の評価を、他人の手に委ねてはならない。
あなたはもうこれ以上、自分を弁明する必要はない。
なぜなら弁明するべきものがないからだ。
あなたの短所を見つける人は必ずいるが、あなたが「罪悪感」から解放されているならば、あなたを犠牲にして自己肯定に励もうなどとは、誰の頭にも思い浮かばない。
「罪悪感」とは縁を切る必要がある。
センザイ意識に潜んでいる、罰を受けるあらゆる可能性を排除すること。
あなたを裁く権利は、誰も持っていない。
あなたは、あなたでいる権利を持っている。
もし自分自身でいることを自分に容認できるならば、弁明する必要性は消えてなくなり、罰せられる恐怖は吹き飛んでしまう。
すると、誰もあなたを侮辱しようとはしなくなる。
あなたがどこに居ようともである。
個人的な尊厳を勝ち得るための鍵は、罪悪感を持っていないということにあり、本当の個人の力は、その人格が「罪悪感」からどれほど自由でいられるかにある。
2 「重要性」と縁を切る
あなたの目の前に何らかの対象がある。
それはエネルギーレベルでは中立であって良くも悪くもない。
周辺世界とバランスを保ち、「振り子」から自由でいるためには、「重要性」を低くする必要がある。
「重要性」は過剰な意義を与えられているところで発生する。
ものごとに「重要性」を与えるおかげで、あなたは一生、「平衡力」との闘いに明け暮れてしまう。
もしあなたが問題だらけの状況に遭遇したならば、どこでやりすぎたのか、どこをつかまれてしまったのか、何に過剰な意義を与えたのか、突き止めてみよう。そして、それと縁を切ろう。
過剰な感情や心労は、「重要性」を与えてしまった結果なのである。
原因となっている関係を取り除かなければならない。
自分自身と周辺世界とをどれほどの「重要性」を与えながら知覚しているのか、あなたは常に把握していなくてはならない。
内なる見張り役をうたた寝させてはいけない。
日常の世界の、あるがままを受け入れ、自分をあるがままに受け入れること。
恐怖や動揺を押しつぶすことはできない。
しかし、「重要性」を低くすることだけはできる。
問題解決に着手する前に、「重要性」の程度を引き下げること。
そうすれば「平衡力」が邪魔することはなく、問題解決は簡単に呆気なく済むだろう。
障害を克服しようとはしないで、「重要性」のレベルを引き下げればよい。
「真剣に入念に準備する」ことは、「重要性」を強めてしまうだけなので、決しておこなってはいけない。
自然にふるまう、成り行きにまかせる、気軽な対応、というのが効果的な処方箋としてあげられる。
準備をするというなら、「保険をかける」という形に限る。
もしあなたの状態が何らかの事柄に強く依存しているのであれば、代わりのものを見つけたらよいだろう。
それが保険、または予備である。
どんなに確信があるにしても、一枚のカードにすべてを託してはいけない。
「重要性」を引き下げるための、簡単で効果的な方法は、前もってうまく行かなかったときの状態に馴染んでおくことである。
目標を達成できなかったときの気持ちに馴染んだ後は、失敗についても、成功についてもそれ以上は考えずに、ただ目的に向かって進もう。
あなた自身よく理解されているように、自信のなさと格闘しても無益なだけだ。
この複雑に錯綜した迷路からどうやって抜け出たらよいのやら。
いいや、あなたはどうしても抜け出すことができない。
出口はないのだ。
この迷路の秘密は、あなたが出口を探すのをやめ、「重要性」と縁を切れば、迷路の壁が崩れ落ちるという点にある。
迷路の壁は「重要性」でできている。
本当は、望みの実現に続く道における唯一の障害は、人為的にもたらされた「重要性」なのだ。
「重要性」のポテンシャルは行動によって拡散する。
考えていないで、行動すべき。
もし行動することができなくても、考えてはいけない。
注目の中心を執行者としての自分や最終目的から逸らし、それを行動が履行される過程へ振り向けると、あらゆる行動において最高の効率が得られることになる。
もしあなたが自分の未来に対して安心した気持ちをいだいていれば、「平衡力」の作用があなたに及ぶことはない。
「重要性」と縁を切ると、あなたは「選択の自由」という宝物を手に入れることができる。