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備忘録

リアトラ5

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リアトラ5

観客の目で眺めてみる


人は、多くのものごとを、力を抜いた状態で、機械的にこなしている。
無意識の精神心理には、通常、多くの空白部分がある。

もし、何かに気を奪われて、それ以外は考えられなくなると、とりわけ眠りが深くなる。

あなたが覚醒状態で眠っているあいだは、「振り子(生物の思考エネルギーによって産み落とされる、エネルギー情報体)」が、あなたを支配していることになる。
(ネガティブな幻想の正体 参照)


「振り子」から解放されるには、無関心状態になる必要がある。
しかし、そうなることはむずかしい。

注意は、何か同じことにしつこく向いてしまう。

それは、「振り子」が一定の方向に風を送っている場合の、風見鶏の風向を示す矢に似ている。注意の方向を示す矢が「乗っ取られた」状態とは、頭からメロディーがなかなか抜けないような単純な例で見られる。


「乗っ取りの罠」から抜け出すためには、注意を向ける先を切り替えればよいのだ。

頭の中にいつまでも居座り続けるしつこいメロディーから解放されるには、ほかのメロディーに注意を切り替えなければならないのとまったく同じことである。

何とかして、その周波数で思考エネルギーを放射することを、断ち切るのだ。
ある時間、何か別のことに注意を切り替えるべきで、思い出しもしないということだ。

それはむずかしいことではなく、そう願う気持ちと、若干の想像力があればよい。


人がゲームの決まりを知っていないと、取り巻く世界は恐ろしくて敵意に満ちたものに思われてくる。

そうなると、湧き起こってくる孤独感や抑圧感といった感情がその人を眠らせてしまい、「振り子」の決まりに従属せざるを得なくする。

「振り子」の決まりは、行動と思考の規範、すなわち「正常性」の基準を定める。

定められた基準に自分が相当しないという事実に直面すると、人は魂の不快を味わう。
敗北の恐怖が心に重くのしかかり、自分の至らなさを感じ、敵意に満ちたこの世界で、自分はひとりぼっちだと思う。


あなたの私生活はすべてがうまく行っているわけではなく、その一方で、ほかの人々の私生活は、順風満帆だと思っているあなたは、すっかり道に迷ってしまっている。

他人の成功は、模倣するための例や手本にはなり得ない。
あえて決まりを破り、自分の道を行く者だけが本物の成功を手にするのだ。


決まりを定めるのは、「振り子」ではない。
決まりが、「振り子」を生み出す。

「振り子」と闘っても、あなたは打ち負かされるだけだ。
闘うことなく、隊列を離れるようにすればよいのだ。


ただ目を覚まし、舞台から立ち去ることなく、そのゲームを観客の目で眺めてみるだけでよい。

あなたを取り囲んでいるすべてのものを、観察者の視線で眺めてみよう。
あなたは芝居の出演者であり、同時に、周囲の状況におけるいかなる動きをも見逃すことなく、少し距離を置いて演技している。


あなたに対して何らかの提案がなされたが、あわてて断ることはない。
アドバイスを受け、その提案についてちょっと考えてみよう。他者の意見を聞いてみるのであって、急いで議論に入ることはない。

誰かが何かをあまりいただけないやり方でやっているようにあなたに思われる。
――そうさせておいたらいい。

状況が変化した。
――警鐘を鳴らすことはない。変化を受け入れることにしてみよう。

あなたが何かに携わっているとしても、一番簡単なやり方で行動しよう。
選択しなければならない事態に直面したら、より簡単な方を選ぼう。


たとえ何があろうとも、それがあなたにとって幸福か災厄かを正確に知ることはできない。
自分にとって好きな方を選ぼう。

「世界」はいつも同意する。もしそうであるならば、逆を言ってみよう。
「すべては簡単に片付く」と自分自身に語りかけよう。
たとえ多少の無理があるとしても、その問題を簡単だと言ってみよう。


もしあなたが、「世界」を自由にさせてあげたうえで、「自分を動かす(セルフ・コントロールする)」ことができれば、あなたはリアリティの支配者である。





世界は巨大な二元鏡


世界全体を、巨大な二元鏡としてイメージすることができる。

普通の鏡の場合と異なり、物質世界は、神、そして、すべての生き物たちの意図や思考がイメージとなった反映として現れる。


鏡の前に立っている自分を、思い浮かべてみよう。
あなたは、自分の「思考」のイメージが映し出されている、鏡の前に立っている。

こんな風変わりな状況を、イメージしてみよう。

あなたは鏡の前に立っているが、何も映っていない。
あなたがそこに居ないのと同然だ。

そして、しばらくすると、まるで写真の現像のように、少しずつ像が現れてくる。

ある時点であなたは微笑みだすが、鏡の中のあなたは真顔のままだ。
あなたが両手を上げても、鏡の中のあなたは、元のままでいる。

あなたはすぐに両手を下ろすが、鏡の中のあなたは何も変わらない。

両手を上げている自分の姿を見るためには、一定時間両手を上げたままでいなくてはならないのだ。


世界全体の働きも、まさにこれと同じなのだ。
ただし、反応時間の遅れはずっと大きいため、変化を知覚しづらい。

物質的現実化には、慣性が働き、タールが動くようにゆっくりと行われる。
世界の鏡に望ましい現実が映し出されるためには、基本的なことを実行しなければならない。

それは、遅れて現れる反映に注意を払うことなく、思考上で然るべきイメージを意図的に作りあげ、現れつつあるリアリティのさらなる新たな部分を探しながら、鏡をさらりと見るだけにする、というものである。


肝心なのは焦りは禁物ということだ。
最初のうちは、忍耐と自制があなたに求められる。

状況がどうなろうとも、あなたの反応は、「世界はいずれにせよ、自分のことを気遣ってくれる」というように、一様でなければならない。
世界を信頼してあげよう。

うまい具合に事が運ばなくても、あなたに疑いの気持ちがあったのであれば、世界が気遣ってくれなかったなどと言って、腹を立ててはいけない。

鏡としての世界は、それに対するあなたの態度を反映する。
鏡は、あなたの「思考」の中身を物質化させることを、覚えておいてほしい。


まずは反映を追いかけることをやめて、立ち止まろう。
これはつまり、鏡から視線をそらし、世界を自分に必要な方向へ向けようとすることを、断念するということだ。

世界の鏡は、眺めるのではなく、さらりとみよう。

鏡による反映から目を離さずに、じっと見入っていることが間違っていたのだ。
すべての問題は、そこから発生している。

「良いところを探し出し、悪いところは無視する」すべてこのフィルターを通すものとする。
受け取りたいものに、注意を集中しよう。

目の前のネガティブな反映にもかかわらず、あなたはポジティブな態度を示す。
確かにこれは、普通ではないといえるだろう。


実現にはいったいどれほどの時間が必要かは、設定された目的の難易度による。
「理性」が「思考」の実現性を疑問視しているうちは、イメージは不鮮明なままである。

だが、遅かれ早かれ、鏡には何かしらの像が現れ始める。

目的達成のための可能性の扉を開こうとするとき、あなた自身がそれを目にすることになるだろう。

すると、「理性」は、技法が成果をもたらし、目的は本当に実現されるかもしれないと納得する。


「魂」と「理性」は一致する方向へと少しずつ歩み寄り、思考エネルギーの放射は焦点が合ってきて、鮮明な輪郭の像を結ぶ。

その結果、反映がかたちづくられ、人々が奇跡と呼ぶようなことが起こり、実現不可能と思われた夢は現実のものとなる。





「世界の鏡」は遅れて働く


思考イメージが物質的現実に定着するためには、それを定期的に再生しなくてはならない。


言い換えると、目的を持ったスライドを、絶えず頭の中で映し出す必要があるということだ。

「感情」を抑え込んでばかりいてはいけない。
「感情」というのは、あなたの態度の結果にすぎないのだ。


自分の思考推移を制御することによって、あなたはリアリティを制御する。
さもないと、あなたはリアリティに制御されてしまう。

大事なのは、基本的な方向性を維持することにある。


通常、人は次のように判断する。

私は欲するが、何も起こらないことを恐れる、
あるいは、本当に起こるのだろうかと危惧する。


勝利または敗北に対する自分自身への責任感から、人はやむを得ず自分や世界に厳しい条件を突きつける。

世界には期待し、自分には要求する。
その結果、鏡は、「欲する・恐れる・手放さない」ということにより、三重に歪んでしまう。


あなたは鏡の前に立ち、どんな反映を見てみたいか思い浮かべるだけでよい。

鏡を見ながら、その反映を動かすのではなく、イメージそのもの、自分の態度と「思考」の方向性を動かす必要があるということになる。

すると、「世界の鏡」は申し分なく働いてくれるのだ。

「自分を動かす(セルフ・コントロールする)」のであって、鏡の前の子猫が、反映を自分自身だとは知らずに自分の分身と戯れるように、鏡よる反映をつかもうとしてはならない。


その一方で、しばらくの間、あなたの世界の層では何の変化も見られないことを覚悟しておいて欲しい。

あるいは、反対に、まるで面当てのように、ありとあらゆる不快な出来事が起こるだろう。

いったい、どうしたというのか。

それはすべてリアリティとの接し方の、新たなレベルへの「移動」と関係した一時的な不具合なのである。


なにしろ、鏡は遅れて働くのである。
何があっても、自分の考えを貫かなくてはならない。

何も起こらないうちは、穏やかな気持ちで一休みしよう。
さしあたっては、鏡にとんでもないものが映しだされても、そうさせておけばいい。

だが、早晩、頭の中で描いているイメージが鏡に映し出されるのは、まぎれもない事実であることを、あなたは知っている。


あなたがイメージに注意を集中しているうちは、世界はあなたに歩み寄ってくれる。

しかし、とんでもないことが繰り広げられている(あるいは、全然何も起きていない)鏡の反映にあなたの顔を向けた途端、世界は歩みをやめ、再びあなたは堂々めぐりの鏡の環に沿って、消耗するばかりで何の実りもない追いかけっこを始めることになる。

鏡は遅れて働くので、反映の形成、すなわちイメージの現実化には一定の間を空けることが必要なことを、自分の「理性」には常に覚えておいてもらうべきだ。

そんな間に相当する時間を過ごしているときに、絶えず自説を固持し、すべてが地獄に転げ落ちていくように思われる条件下でも成功を信じる必要がある。


もし、「鏡を眺めないでいる」ことを十分辛抱できるならば、
通常、結果はあらゆる期待をしのぐものとなる。





「理性」をかまうのをやめる


もし、いまのあなたが鬱状態にあるのなら、まず最初にリアリティの歪みを直す必要がある。

赤ん坊が泣いたら、どのようにしてあやすだろうか。
赤ん坊は説得に応じない。

赤ん坊と一緒にしばらく時を過ごし、心配と同情を表して、注意を払ってあげることが必要だ。

これと同じように、あなたの具合が悪いということは、あなたの内なる赤ん坊が泣いているということだ。
思いやりを示してあげよう。


リアリティを矯正するために、特別なタイム・アウトを取ってみよう。
その間、あなたは「問題」のことなど考えずに、ひたすら休息することだ。

何しろ多くのことが「世界」の層に依存しているから、あなたの「世界」の層をきれいにしなければならないのだ。


「鏡」の取り扱い方を学んだあなたは、もう何も心配してはならない。

どのようにして目的は達成されるかについては考えず、自分のシナリオに固執しないことが必要だ。
もし何があろうと、成功があなたを待っているのであれば、何を怖がるというのか。


人の「理性」は、何も起こらない状況や、あるいは、物事が思った通りに展開しない状況とは、どうしても折り合いをつけることができない。
「理性」は願望を推し測りながら、いつも先回りして、事象の展開に関する模範的な計画を立てる。

人間の思考は、そんなふうにできている。
そこで、迫りくる出来事がシナリオに入っていないと、何も成果がないという印象を受ける。

本当は、すべてがうまくいっているのに!


ここにこそ、逆説がある。

注文が現実化されるには、事象がどのように展開しなければならないかを、誰も知ることはできない。
しかし、それでも人が自分の知っていることに固執すると、その結果、すべての努力は無駄になってしまう。

あなたの夢が達成しがたいように思われるのはなぜかというと、あなたがパターンに支配されていて、単に夢を実現させようとしないからだ。


自分をしばらく観察してみると、あなたは至るところで状況と妥協せざるをえなくなったり、避けられないと思われることに屈するしかなかったりしている。

あなたには、見ている夢を、そのまま自動的に受け入れる癖が身についている。
必要なのは自分の態度(鏡の前でのイメージ)を変えることだけなのだ。


どのような手段でイメージの反映がつくられるかを知っているのは鏡だけであり、「理性」はこの道筋についてはあずかり知らない。

「理性」にとっては、実現不可能と思われる夢が、どのようにして実現され得るのか、決してわからないだろう。
何かが成し遂げられたという事実を目の前にしないと、「理性」はそれを可能だなどとは、絶対に思わないのだ。


だから、「理性」をかまうのは、もうよそう。


何があなたの世界にとって良いか悪いか、正しいか間違いか、という審判を下す自分の権利を、あなたが手にした瞬間から、外から押し付けようとしてくるあらゆる判断をあなたは投げ捨てることができる。

ただし、その際、あなたが疑念、躊躇、良心の呵責を感じず、また、あなたの審判が誰にも害を及ぼさないことが前提である。


もし「私は所有する」と言うことができないなら、せめて「私は所有しようとしている」と言ってみよう。

幻想から解放されたあなたは、思考が推移する方向を変える、すなわち「欲しないこと」から「欲すること」へ、「気に入らないこと」から「気に入ること」へ、病気から健康へ、手段から最終目的へ、というように切り替えなければならない。


いかなる状況であれ、たとえそれが最悪の状況であっても、もしあなたが、「鏡」のどんな反映もポジティブなものとして受け入れることを実行すれば、最終的には常に勝利をおさめるだろう。





支配者の意図を持つ


人は、自分に偶然起こる覚醒状態での夢見に支配されてしまう。

まさしく注意を「鏡」の反映に固定することこそが、人生を無意識に見る夢に変えてしまい、そんな中で、あなたは完全に状況の支配下に置かれてしまうのだ。

あなたが、魔法にかけられた人のように、「鏡」に映し出される出来事を心配して追いかけているうちは、リアリティがあなたを支配している。


簡単なことを一つ理解しておく必要がある。

この世界にはあなたがいて、「鏡」があるということだ。


あなたが「鏡」による反映に注意を奪われているうちは、「鏡」の環の中に居続ける。
そこで起きていることのすべてが、あなたとは関係なく起きている。

「鏡」の外側に出るためには、注意を反映からイメージへと切り替える必要がある。
自分が「鏡」の前に立っていることを認識したあなたは、自分の「思考」のイメージに従ってリアリティを形成する能力を得る。


あなたは、想像上の出来事の中にいなくてはいけない。
目的を達成したあなたは、何に従事し、何を感じ、どのように自分をとらえ、何に取り囲まれていて、何が起こっているだろうか。

あなたは「世界の鏡」の前に立っており、現実において受け取りたいイメージを、頭の中でかたちづくる、ということだ。
もしそのスライドを思考上で定期的に再生すると、事象と状況の流れは目的へとむけられる。

道を進み始めたばかりのあなたにとっては、必ずしも明確なプランを持っていなくてよいし、目的がどのように現実化されるかを知っているわけでもない。

手段について考えてはならない。
必要な時に、必要な扉(具体的な道やチャンス)が開かれ、あなたはそれらを目にする。
目的が達せられる方法について、過酷な条件を設定してはならない。
あなたが行うべきなのは、最終的な結果に意識を集中させることだ。


自分の「思考」によって、これほど簡単に自分のリアリティを形成する能力があるとは信じられないと思われるかもしれない。
では、あなたはこれまでにたとえ一ヶ月でよいから、自分の「思考」を目的へ向けることを定期的に意識して行ってみたことあるだろうか。

こんなばかげた光景を想像してみよう。

あなたがリンゴの木を植えて、今にも実がなるぞとばかりに真剣な面持ちで待ち望んでいるところである。
だが、何も起こらないので、あなたは我慢できなくなり、あきらめてその場から立ち去ってしまう。

一方、リンゴの木の方は、「待てというのに、こんちくしょうめ!」と叫びたくて仕方がなかったのだ。
あなたが設定した目的についても、同じことである。
たった一回望んでみただけで、リアリティを作り上げることはできないということだ。


反映が遅れて現れることについて熟知しているとしても、この不思議な「鏡」に適用するのは大変むずかしい。

リアリティとは、手にしたステッキのようにすぐ言う事を聞いてくれるか、あるいはまったく操縦不能か、そのどちらかだという思い込みが、人の意識の中に頑固に居座っている。
望みがすぐにかなわないということは、それは単に不可能なのだと思ってしまう。


あなたはこれまで述べてきた方法をすっかり忘れてしまうかもしれないが、もし自分の中に一体的な感覚を維持することができればそれで十分であろう。

「私に関するすべてが順調で素晴らしい」というフレーズに従って意図を統合すると、普遍化された成功のイメージを作り出し、そのイメージが現実生活にも反映されることになる。

頭の中で望ましいイメージを作った後、ただ単に目的の方向へ足を運ぶだけでよい。
何があろうと、すべてはあなたの注文を執行するためにおこなわれているのだ。

「すべてうまくいく。なぜなら私がそう決めたからだ」という支配者の意図を持とう。


現実がゆっくりと反応することになれるや否や、驚愕すべきことが起こり始める。

以前は静止しているように思われた物質的世界は、文字通り目の前で、優雅に変化し始める。


<鏡の法則 まとめ>

・鏡としての世界は、それに対するあなたの態度を反映する。
・鏡による反映は、魂と理性が一致した状態で形成される。
・二元鏡は、遅れて反応する。
・鏡はあなたの態度の方向性を問わず、態度の中身を単に確認する。
・注意を反映からイメージへと切り替えなくてはならない。
・握りしめているものを手放し、世界が流れに従って進むようにさせる。
・どんな反映もポジティブなものとして受け入れる。





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