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備忘録

108 手放す(27~)

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108 手放す(27~)

「手放す」について。

「手放す」ということの意味は、二種類あります。

ひとつは「願望に関連した余計な感情や思考を手放す」ということ。
もう一つは「願望そのものを手放す」ということです。

ひとつめの方は、早い話がクレンジング(クリアリング)です。
願望に対する「無理だ」「いけない」等のマイナス感情や固定観念、
願望への重要度が高まりすぎたことによる、執着心や過剰ポテンシャル、
これらのものを手放す、ということです。

「自分の中から、願望実現の障害になっている要因を取り去る」

願望実現を妨げているものは、自分の内部にしかありません。
現実的な障害と感じるものは、全て自分自身で設定したものに過ぎません。
それらを分解・無効化していけば、願望は自ずと叶って現象化していきます。


この障害を手っ取り早く見つける方法を紹介します。
何か願望を思い浮かべて、

「この願望は今すぐ実現して当然だ!今、実現しました!」

と内面に向かって宣言してみてください。
その途端に(あるいは暫くすると)、何か違和感を感じると思います。

「この違和感は何だろう?」

また問いかけてください。
それが何であるか、具体的にハッキリと認識できなくても構いません。
でも「それがある」ということをハッキリと認識した上で、その違和感に向かって、

「ありがとう。でも私はこれを手放します」

そう言って、心の中でそれを手放してみてください。
上手く手放せなくても構いません。
手放そうとしたとき、違和感の原因が具体的に分かる場合もあります。
その場合も、それをいったん認めて、また手放してみてください。

もう一度、
「この願望は今すぐ実現して当然だ!今、実現しました!」

宣言してみます。違和感を感じたら、また上記のプロセスを繰り返します。
違和感が完全になくなるまで行う必要はありません。
ある程度続けたら、このセッションは終了してください。



ネタばらしをすると、上記のセッションは違和感を取り除くことが
その目的ではありません。自分の内面に、願望実現の妨げとなる要因が
あることを確認することだけがその目的です。

もちろんその過程で、本当に違和感が無くなっても全然構いません。
でも無くならなくたって、そんなことはどうでもいいのです。
外部の要因に注目してしまいがちな習慣的思考を、本当の原因である
内部に向け直すことが目的だからです。

「内部に原因があることは充分わかった。でもそれを解消する手段は?」

それは各自、自分に合うクレンジングメソッドを探して実行してください。


「クレンジング」というキーワードでネット検索すれば、
いくらでも情報は手に入ります。

「ザ・キー」 という本も効果的です。

かつて私がこのスレでご教授いただき、別館の方で人気沸騰中の
「ホ・オポノポノ」も大変有効です。自分で色々探して、試してみてください。
(その求める行動こそが、実は既に立派なクレンジングなんですよ)


さて、ここからが本題です。
「『願望そのものを手放す』とはどういうことだ?意味分からん」
と思われたかもしれません。

それでは早速、今、自分にとっての最も大事な願望を
「もういいです」と完全にあきらめて「完全に」手放してみてください。

出来ましたか?出来ませんね。
何故なのでしょう?何がそれをさせなかったのでしょうか?

「当たり前じゃん!実現させたいから願望なのに、それを手放すなんて…」

ここに大変重要な鍵が隠されています。
願望と、その実現を阻んでいるものは表裏一体の構造になってます。
スバリ言うと、手放せないのはエゴの仕業です。
前スレの最後で話題に上がっていた、アレのことです。

願望自体がエゴから発生したものであったとしても、その実現性にエゴは
関係していません。エゴは、本当は願望を実現する力など一切持っていません。
実現するのは全く別の領域の力だからです。

それなのに、それを「保持」し続けようとがんばり続けるのです。
これでは、どうしたって実現するはずがありません。


この「エゴ」というものは非常に強固です。
ちょっとやそっとで簡単に崩せるようなものではありません。
なぜならこの世界自体、ほとんどエゴで構成されるようにしか見えないからです。

実際には違うのですが、ほとんどの人がそう思ってしまっています。
「この世界はエゴで成り立っている。どう考えても間違いない」と。
そして、それなしでは存続できない、という幻想を与えてしまっています。

だから、それが突き崩されそうになると、思いもよらないところから猛烈な妨害が入ります。

エゴは、全人類を覆う強力な集合的想念と化してしまっているので、
少しでもその存在に疑問を差し挟むものを、決して放っておきません。

「リアリティ・トランサーフィン」をお読みの方には、よく分かると思います。
振り子の根幹を支えているのが、このエゴなのです。


実はこのスレで起きていることも、無関係ではありません。
スレ8が荒れかけたとき、私が「心配不要。過不足無く起きていること」
と書いてから、その動きは刺激を受けて活発化しました。

さらに私が「『手放す』ということについて書く」
と宣言した途端、それは猛烈な反発を始めました。

エゴが(あるいは振り子が)、猛烈に反発するのは当然です。
手放されたら、それは存続できなくなってしまうからです。
それにとっては、まさしく死活問題です。
だから、どんな手段を使ってでも妨害しようとします。

それは必死です。感情的で、扇動し、卑劣な言葉を吐いたりします。
でもそれにとっては存亡がかかっているのですから、当然なのです。

行間から必死さがにじみ出ているのは、エゴが自身の存亡について、
猛烈な恐怖を感じているということです。

「必死」「感情的」「扇動」「卑劣」
これに該当するレスを、敢えて拾い上げてみてください。
何かが見えてくるはずです。


醒めた目で、冷静にこのスレを眺めていれば
一体何が起きているのか、極めて明確に分かると思います。
例えばこのスレ自体を、自分の個人的内面だと思って見てください。
それは、我々の内部で起きていることと、全く同じメカニズムなのです。

「勝手なことをするな!そんなことをしたら人生が台無しだぞ!
 くだらない夢想にふけるのはやめて、現実的になれ!」

エゴは引き戻そうとします。そして、何もしてくれないのです。

当然です。エゴには本来、何も可能にする力はありません。
賛同し、支え続けてくれることだけが必要であり、それさえあれば、
エゴは存続し続けることが出来るからです。
その人が幸せかどうかなど、エゴにとって知ったことではありません。

…実は、この説明をそろそろしたいと考えていたら、正に素晴らしいタイミングで、
その通りのことが起きたのです。このことで不愉快な思いをされた方もいるでしょうが、
私にとっては意図を遙かに上回るシンクロだったため、正直感動して、愕然として
しまいました。

ここまで完璧な形で起きるとは、思ってもいなかったのです。
自作自演だとしても、果たしてここまで見事に演じ切れたかどうかw
その役割を演じてくれた方々(一人かな?)に感謝します。


【第28章】 百八式「手放す」前編



さて、本題に戻ります。



ある願望が生まれました。
あなたはワクワクします。その実現に思いを巡らします。
なかなか実現しない。何かやり方が間違っているのだろうか?
色々やってみます。でも実現しません。

一体どういうことだろう?私は呪われているのか??
これを実現することが、なにか社会の不利益になるのだろうか?
前世で何かして、それが実現しないカルマを背負っているのでは?

何故実現しないんだ!!いい加減にしろ!!!

このとき、あなたは「願望」というチケットを握りしめて泣きます。
チケットはここにあるというのに!!何故だ…。

…あ!………渡すのを忘れていた。





願望を抱くということは、チケットを得たということです。
そのとき既に、それを手にする正当な権利を得たということです。

「願望を抱いた」
それだけが、願望が実現するための主要な条件です。

後は、そのチケットを渡して、現実でそれを受け取るだけです。
しかし、この「渡す」という感覚が分かりません。
そのため、いつまでたってもチケットを握りしめた状態なのです。
そしていつまでも握りしめているのが「エゴ」です。

エゴにはそれを実現する力がないくせに、それにしがみつこうとします。
当然です。方法が分からないから、そうするより他に手がないのです。
それで不安になり、色々と思いを巡らし、心配し、現実的な実現方法を
あれこれと詮索します。

出来もしないのに「よし、何とかしよう!!」と、チケットを大事にしまい込んで、
クタクタになるまで奔走します。

実現するためには、たったひとつのことをするだけで良いのです。

「手放すこと」

でもどこに?
エゴ以外の場所にです。



この世界には、二つの領域しかありません。
エゴと、それ以外です。

執着し、握りしめているのはエゴだけです。
エゴが手放せば、願望はそれが叶う領域に、自動的に手渡されます。
エゴ以外の領域では、そのようにしか、なりようがないからです。
しかしそうされたら、エゴに存在価値が無くなってしまいます。

だから、いつまでも手放せないように、
必死で握りしめたままにさせようとするのです。

あなたがチケットを持ってコンサート会場に行っても、
それを受付で渡さなければ、永遠にコンサートを見ることは出来ません。
チケットを握りしめたままでは不可能なのです。

だから手放します。
エゴから自由にしてやれば、それは叶う以外の状態で「あり得ない」のです。




良く出てくる「特定の人と恋愛関係になれるか」という問題。  
これは可能です。引き寄せの法則自体に、難易度の差はありません。

ただし、相手を特定しているということは
その相手に「もの凄く執着している」という状態のはずです。
その相手と対峙したとき「フラットに淡々と」は、かなり困難です。

「この人に嫌われたらどうしよう」
「変なこと言わなかったかな」
「好意を持ってくれるかしら」

自分にとって大好きなほど、その相手のハードルが高いと思えるほど、
重要度は跳ね上がり、失敗してはいけないという心理が働きます。
恐怖心、つまりエゴがより強力に働くことになります。

結果に対する執着を放棄することを、いっそう困難にしてしまうのです。
「特定人物の引き寄せは難しい」という現象が起きやすいのはこのメカニズムによります。


「どうでも良い相手からは好意を持たれる」

というのはこの為です。
どうでも良い相手に対しては、重要度が限りなくゼロに近いはずです。
自由に振る舞え、結果を気にせず、存分に自分を表現することが可能です。
その態度を、恋い焦がれている相手に対して再現する、というのは難題です。

「特定人物との恋愛に、引き寄せは効かないのでは?」

というのは、こういう事情からです。
法則側の問題ではなく、本人の内部でエゴが執着を捨て去るのが困難だからです。



以上「手放す」ということについて。
偉そうに書きましたが、難しいですよねw

「そんな簡単に手放すことが出来たら、苦労しないよ!」

という声が聞こえてきそうです。では、どうやって手放したらいいのか。

手放すためには、エゴ以外の領域を信頼する必要があります。
それなくして、エゴはなかなか手放してくれようとはしないはずです。

「手放して、本当に大丈夫か?」

こんな心理状態では、手放すことは出来ませんね。
「手放した」と思っても、たぶん実際には手放してはいないでしょう。
では、どうやったらエゴ以外の領域への信頼を得られるのでしょうか。

「あ、手放して大丈夫なんだな」

だんだんと、そう思えるメンタリティを持てるようにすればいいのです。
方法は色々あるでしょう。各自で見つけてくださること、大歓迎です。
自分に問いかけてみてください。

「どうやれば、エゴ以外の領域に、安心して手放せるようになるのだろう?」

次回、私が実践している非常に効果的な方法をご紹介します。
キーワードは「今」です。
お楽しみに。。。


【第30章】 「ザ・チケット」誕生の伏線


(*「変えられるものは変えて」「今日一日をただ楽しんで」 *)


「この状況は、私にとって素晴らしい!!」

力強くそう定義すると、本当にそうなるんです。
受け入れて、認めて、祝福してください。必要なのは、それだけだと思います。本当に…

(そうですね。この状況は私にとって素晴らしい!
本当に私の毎日をどっから眺めても、私の日常で起こる事は、全て大変に素晴らしい出来事が、
素晴らしい順番で起こっていて、全部良くて無駄が無いです。
私は瞑想したり祈ったり望んだりしてるだけ

私自身が動いてもしも私がコーディネートする立場だったら、
こんなに良いストーリーに作れない。全部、順番良く適度の間隔で起こっているので)

(108さんの違和感を手放す方法って、自分の本当の願いも見つけられそうだね)


【第31章】 実現のルートを「一定方向以外」に制限すると、どうなる?


以前、親御さんからの一千万円の申し出を断ったことが、
あなたの中で罪悪感のようになっていませんか?

「親の好意を受け取らず、悪い事した」という罪悪感と、
「素直にメッセージに従わず、チャンスを逸した」という罪悪感です。

現状では、「一番近い船からしか救援が来ない」事を不満に思うことで、
かえってそれを引き寄せているように思います。

「両親からだけは、絶対に資金援助を受けたくない!」

と思うと、かえってそれを引き寄せてしまうプロセスに入ります。


まずは、上記の罪悪感や不満・執着心を取り除いていくと良いと思います。

その上で、「両親からの資金援助だって、いっこうに構わない」

という風に、それに対する抵抗感を無くしてみてください。
この抵抗感に対して、必要ならクレンジングを行ってください。

実現のルートを「一定方向以外」に制限しようとすると、かえって
その最も避けたいルートで実現する可能性が高まります。

むしろ「このルートは避けたい」と思わないことが、
そのルートを避ける可能性を最も高める方法だと思います。

もう一つの方法は、親御さんの申し出を(感謝とともに)断固として
拒否し続けることですが、あなたの場合、こちらの方はあまりお勧めしません。
「最も近い船」への抵抗感を無くしていった方が良いと思います。


【第32章】 百八式 エゴの定義


「エゴ」とは自我のことです。
エゴイスティック(利己的・利己主義的・自分本位)の意味もありますが、
実際にはもっと大きな意味が含まれています。

私自身は「エゴ」を次のように定義しています。



「我々は個別の存在であり、安全から切り離されている」
という観念に基づいた自我意識と、そこから生ずるあらゆる思考と感情。
また、それによって生じた全ての現象と結果であり「恐怖心」の源泉であるもの。



通常、エゴは我々が現実的に考えたり判断したりすることの、
ほぼ全ての根拠となってしまっています。
それは無意識レベルにまで深く根を下ろしてしまっているので、
容易には変更できません。

逆に言うと、この部分さえ変更できれば、後にはもう難関はありません。
いわば願望実現に対する最強のラスボスですw
でも、挑むだけの価値は充分にあると思いますよ。
問題はそのやり方だけです。


願望が叶うときというのは、ほとんど
「自分では説明できない不思議なこと」が起きていると思います。
エゴの守備範囲外のことなので、説明不可能なのです。
そしてこのゾーンにしか、本当の意味で可能にする力はありません。

願望実現というのは、それがなんであれ、とどのつまり「幸せを手にする」
ということだと思います。それなら、この部分にいかに早く気づき、
速やかに対処するか、というこになると思います。

「不毛な虚しいダンスを、ヘトヘトになって、エゴと死ぬまで踊り続ける」

このようなことは一刻も早く止め、従来の認識を変えて、
「それ以外」の領域の力を利用することが真に合理的であり、得策です。
それこそが本当の意味での「現実的対処法」だと、私は思っています。



それです!
実は、心配しているようなことは、本来起こらないんですよ。
しかしそう思い続ける限り、それは起こり続けます。

そしてそのプロセスを中断した途端、そうでなかったことに気づきます。
「実はそれ自体が原因だった」ということにです。
これは、次回書くことのテーマになっています。

思考や感情は、簡単に区別がつきます。

「恐怖心、理不尽さ、不公平感、強迫観念、虚しさ、批判、疑い…」

これらのものは全てエゴから来ています。
あたかもそれらに正当性があるように感じてしまうため、
その幻想によって、現実は歪められて認識されてしまうのです。

少しだけ次回の予告をしておきます。

「それらは、本当にありますか?」自分自身に問いかけてみてください。
「それらは、本当に自分自身に起きていることなのだろうか?」と。

敢えて抽象的にしました。やってみてください。

LOAスレ語録


「何故か分からないけど、全て上手くいった!」と考えてみてください。

思いこみによる条件や強迫観念を全て外していけば、驚くほどスムーズに上手く行きます。

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