忍者ブログ

remember to remember

備忘録

壁 108氏ブログから

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

壁 108氏ブログから

私たちは知らないうちに、いくつもの「壁」を作っています。

私たちは、来る日も来る日も、毎瞬毎瞬、無数の壁を作りながら生きています。

習性となってしまっているため、それは無意識で自動的な活動です。

今この瞬間にも、あなたは次の「壁」を作る場所を探そうとしています。

それは、このようなものです。

あなたは電車に乗っています。

途中で、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが乗ってきました。

あなたはその赤ちゃんを見て「かわいいな」と思います。

心が和む瞬間です。

しかし、赤ちゃんは突然泣き始めました。

それも、もの凄い勢いでです。

激しく泣き叫ぶ赤ちゃんの泣き声ほど、人の神経を逆なでするものはありません。

あなたは「うるさいな」と感じます。

周りへの迷惑など、お構いなしです。

赤ちゃんは、一向に泣きやむ気配がありません。

あなたは、だんだんとイライラしてきます。

「全くうるさい。お母さんも、もう少し上手く、あやし付ければいいのに…」

あなたは目的地の駅に到着します。

電車からホームに降り立ったあなたは、あのうるさい泣き声から解放されて、

「やれやれ」

と一息つきます。

あなたは「うるさい赤ちゃんの泣き声」から解放されたと思っています。

しかしこの間、あなたは既に壁を作ってしまいました。

赤ちゃんとそのお母さん、それとあなたとの間にです。

あるいは、こんなケースもあります。

あなたが道を歩いていると、向こうから、見た目がいかにも怖そうな男性が歩いてきます。

「うわ〜、いかつい感じの人だな。目つきも悪いぞ。

通りすがりに因縁でも付けられたら、たまったもんじゃない」

あなたは怖々とその人とすれ違います。

…何事もありませんでした。

「あ〜、良かった!」

あなたは無事で済んだことを喜びます。

しかし本当は無事ではありません。

なぜなら、すれ違った人との間に「壁」を作ってしまっているからです。

「壁」は、あなたが嫌悪感を抱いた「人」や「物」に対して作られるとは限りません。

こんな場合もあります。

あなたが美容院を訪れました。行きつけの美容院です。

ところがそこに、初めて見る顔のスタイリストさんがいます。

どうやら前回カットに訪れたあと、新しく入って来られたようです。

しかし、このことに少し問題点がありました。

その美容師さんは、あなたにとって、もの凄く「タイプ」な人物だったのです。

まさしく「理想のルックス」と言っていいでしょう。

「うわ〜、参ったな。メチャクチャタイプじゃん!緊張して上手く喋れそうにないよ…」

あなたは、その美容師さんと自分のと間に、即座に「壁」を作り出してしまいました。

こうやって好ましいものにも、その逆のものにも、私たちは絶えず「壁」を作り出しています。

壁は絶えず作られ続けていますが、勝手に消えてしまう場合もあります。

先のケースでは、理想のタイプの美容師さんが、話してみたら結構気さくで、意外に馬が合ってしまった場合などです。

こんな時、最初の印象で作り上げてしまった壁は、気がついたらなくなっています。

しかし、その美容師さんが無口で、なかなかうち解けられないような場合、依然として壁は存在し続けます。

壁が消えるか、そのまま存在し続けるかは、現実がどのように展開していくかにかかっています。

対象との関係が、あなたにとって好意的に展開していけば、壁は自ずと消えます。

そうでない場合、壁は消えません。

しかしいずれの場合も、「壁を作る」というあなたのプログラムがキャンセルされたわけではないので、あなたはまた別の対象に対して、壁を作り続けるのです。

しかも、壁を作るのは「あなた」ですが、その壁が消えるかどうかは、現実の展開いかんにかかっています。

自ら作り出したにも関わらず、作った途端、壁はあなたのコントロールから離れてしまうのです。

なぜ、私たちは「壁を作ろう」とするのでしょうか?

それは「自分を守るため」です。

私たちは常に、精神的・物質的な危険から身を守ろうとしています。

それは人間として安全に生存していくためです。

人間として生存していくためには、生命の安全があらゆる角度から保証されている必要があります。

つまり、危険は判別して遠ざける必要があるのです。

「これは危険」「これは安全」

こうやって毎度区別しながら、危険を感じたものには壁を作り続けます。

そしてこれは、自分自身に関してだけ作動しているシステムではありません。

愛する人や家族が出来れば、その安全まで視野に入れて壁を作っていきます。

あなたが組織に属していればその組織、あなたが住んでいる地域、あなたの国…

といったように、様々な単位での「壁」を作る必要に迫られます。

そして、実際にせっせと作り続けているわけです。

ところが、あなたが「自分と対象との間に作っている」と思っているこの壁は、実は外部には存在しません。

どこをどう探しても、そんな物は存在していないのです。

そうです。実際に壁を作っている場所は「あなたの内部」です。

それ以外のどこを探しても、実際に壁はありません。

自分自身を危険から遠ざけるために、いわば本能的に内部に作られる「壁」。

これに、いったいどのような問題点があるのでしょうか?

壁は、自分と対象とを隔てます。

対象を自分のゾーンに侵入させないための、バリアみたいなものです。

それは精神的な面にも、肉体的・物質的な面にも同様に作用します。

あなたの安全を維持するため、このバリアは危険をシャットアウトします。

一見当然のように見えるこの活動には、逆に大きな問題点があります。

あなたは壁を作ることで自分自身を分割し、細分化して縮小していっているのです。

あなたにとって「現実」と見える外界は、実はあなた自身の内部からの投影です。

外界と見えるものは、あなた自身の一部なのです。

それがあなたにとって、好ましいものであっても、そうでないものであってもです。

それら全てをひっくるめて「あなた自身」なのです。

ところが、あなたはこれらに対して、

「これは自分にとって好ましいものだ。受け入れよう」

「これは好ましくない。壁を作り、自分から分け隔てよう」

このように取捨選択する度に、あなたは自分自身の一部を切り離しているのです。

あなたの目の前に、ある現実が提示された。

このとき、この現実はまだ、どのような属性も持っていません。

唯一「あなたの内部からの投影である」という属性を除いて。

ところが、これに対して、

「好都合だ」

「不都合だ」

このような判定をした途端、その現実は属性を持ち始めます。

あなた自身が選択したことによってです。

そして「不都合だ」と判定したことについては、あなたはそれを自分自身のものだとして「受け入れること」を放棄してしまいます。

文字通り、自らの一部を切り離してしまったわけです。

あなたは「受け取り拒否」しました。

しかし拒否したからといって、この「あなたの一部」は無くなったりしません。

言ってみれば「宅配便が届かなかった」というだけのことです。

配達できなかった荷物は、集配所に戻されます。

この集配所も、もちろんあなたの内部にあります。

そして、届かなかったため、再度配達されることになるのです。

あなたがある現実を、壁を作ることで受け入れなかったとします。

するとその現実は、形を変えて、再度あなたの目の前に現れてきます。

今度はその現実に「少しだけ」受け入れられる部分があるかもしれません。

しかし、他の部分については、やはり受け入れられません。

あなたは、またしても壁を作ることになります。

この活動は、永遠に止むことがありません。

そしてその都度、あなたは自分自身を細分化し続けているのです。

気がつけば、目の前には無数の壁があり、あなたを取り囲んでいます。

あなたは圧倒され、身動きが取れなくなっています。

しかしその壁は、あなた自身がせっせとこしらえてきたものに他ならないのです。

あなたはこうやって、自分自身をどんどん狭いスペースに追い詰めてしまっているのです。

この問題を、どうやって乗り越えたらいいのでしょうか。

答えは単純明快、「壁を作らないこと」です。

どんな現実が目の前に現れたとしても、それに対して壁を作らない。

自分の内部からの投影として、受け入れるのです。

それが、あなたにとって好ましいものであろうが、そうでなかろうが。

「これは嫌だ」と感じたら、その感情をも拒否しないで、充分に観察してみる。

その対象も「自分自身の一部である」という認識を持ちながら、愛を持って観察してみます。

「嫌だ」という感情を充分に感じきることで、その投影が現れた目的は達成されます。

荷物は届いたわけです。

あなたが壁を作ってきた対象は、単にその荷物を届けてくれる「配達人」に過ぎなかったのです。

今まで我々がしてきたことは、せっかく荷物を届けに来てくれた配達の人に対して、

「そんなものいらない。余計なことをしないでくれ」

と、配達人そのものを拒否していたようなことだった、というわけです。

とんだ見当違いでした。

どんな荷物であれ、その配達を依頼したのは「あなた自身」です。

それなのに、それをわざわざ届けてくれた対象に、感謝するどころか、否定して拒否するような態度を持ち続けていました。

でも、その勘違いは解消されました。

あなたは荷物を受け取り、配達人に「ありがとう」といいます。

荷物が届いたので、配達人の役目は終わりました。

彼がその荷物を持って、再びあなたの前に現れることはないでしょう。

荷物を受け取ってしまったので、逆にそんなことは不可能です。

あなたは荷物を部屋に持ち帰り、中身を確認します。

これで、一つのプロセスがめでたく完了しました。

こうすることによって、全ての対象における属性はニュートラルに保たれます。

あなたは、それに不都合な属性を与える機会から解放されます。

つまり、壁を作る必要がなくなったわけです。

もはや、対象をあなたから切り離す必要はなくなります。

こうして受け入れることで、それは「あなた自身」と統合されます。

同時に、同じ属性の無数の壁が消失し、分け隔てていたものとあなたとが再統合されます。

息苦しかったあなたの周りに、徐々にスペースが出来ていくのです。

こうしているとき、あなたの内部で一体何が起きているのでしょう。

あなたは愛を増幅しているのです。

受け容れることによって「否定」という属性を取り除いているのです。

つまりそれは、あなたが自分自身に幸せを許可している行為なのです。

ここで、ひとつ疑問が生まれます。

「壁を作らず、全ての状況を受け入れるということは、現実的な危険を受け入れることになるんじゃないのか?そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りないよ!」

この疑問はごもっともです。

しかし「壁を作らない」ということは、何も「生命体としての安全を放棄しろ」ということではありません。

目の前に現れた人々に「片っ端から、抱きついてキスしろ」と言っているのではありません。

そんなことをしても「危ない奴だ」と思われるだけです(笑)。

また、猛スピードで突っ込んでくる車を受け入れ、そのまま轢かれろと言っているのでもありません。

当然ですが、そんな状況からは身を守るのが賢明です。

そういった「生命を維持するための、自動的で本能的な活動」を停止しろ、ということではないのです。

必要なのは「壁を作らない」ということだけです。

向こうから怖い人が歩いてきたら、その「怖い」という感情を充分に感じて観察してください。

しかし、その人も「自分自身の投影である」という認識に基づき、愛を持って受け入れてみてください。

あなたは普段そうしているように、普通に彼の横を通り過ぎるでしょう。

しかし、壁は作らないで済みました。

「自己の細分化のプロセス」は行われなかったわけです。

危ない運転をする車に、危うく轢かれそうになったら、

「危なかった、怖かった」

あるいは

「助かって良かった」

という感情を充分に感じ、観察してください。

そして、

「あの運転手は許せない」

「いつか復讐してやる」

と思ったら、その時の感情自体も充分に感じ、観察してみるのです。

しかし同時に

「あの車も運転手も、自分自身なのだ」

ということを思い出してください。

思い出したら、愛を持って受け入れてください。

そうすれば、自己を細分化しなくてすみます。

壁を作るということは、自らに制限を作るということです。

「ここからここまでが私です」

「それは、私から分離します」

こんな風にです。

その自ら設けた制限が、あなたの自我、つまり「エゴ」を形成していくのです。

このプロセスを中止し、目の前の世界を、あなたと再統合していってください。

そうすれば、あなたにとってのこの世界は、本来の属性を取り戻すことになります。

それは「愛」という属性です。

赤ちゃんの綺麗で純真なまなざしを、思い浮かべてください。

あのまなざしは、自我や分割という概念のない、愛に満ちた本来のまなざしなのです。

あなたが再びそのまなざしを持つようになれば、世界もあなたに愛を返してくれるようになります。

それはあなたが、世界に「愛」という属性を与えているからなのです。

どうでしょう。

「ひとつやってみようか」という気が起きてきたでしょうか?

「でも、大変だぞ。これまでに作ってきた無数の壁を、一つ一つ消去していくなんて。一生かかっても、果たして終わるかどうか…」

こんな風に心配しなくても大丈夫です。

あなたが、ある機会に壁を作らなければ、それと似たような壁は連鎖的に消えていきます。

あなたが「もう壁は作らないぞ」と決心して、機会ごとにそうしていると、その他の壁も次々と消えていきます。

無数にある壁は、まるでドミノ倒しのように、一気に崩れて消えていくのです。

壁がたくさんあればあるほど、壮大なドミノ倒しが起こります。

これは、爽快ですよ。

さて、最後にひとつだけ素敵なことをお伝えしましょう。

このドミノ倒しは、決してあなたの内部でだけ、起きていることではありません。

あなたがドミノ倒しを始めると、そのドミノは、他のあらゆる人たちのドミノも倒し始めるのです。

なぜなら、あなたと世界とは、実際には不可分だからです。

信じられませんか?

では、試しにドミノをひとつだけ、倒してみましょう。

全ては、この最初の「たったひとつのドミノ」から始まるのです。
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
dulcinea
性別:
非公開

カテゴリー

P R