認識の変更について書いてみる。体感として既にあるもわかった。
私はメソッドとかそういうものをマスターしなければ!とか完璧に理解しなければ
達人にはなれんし、願いも叶わん!と思ってたけど、なーんも関係なかった。
私なりのアドバイスは、自然に湧き出る悩みや不安といった感情はエゴからのもの。
それを無くすためにいろんなものを読んだり分析したり、感情と戦ってきたけど、
その行為自体が不安や悩みが存在するって前提だったから、もうとにかく思考を止める。
ただ、止める。スパッと。
思考に気づく瞬間、ハッとするっていうけど、必ず真っ白な空間がある。
その何もない場所が本来の自分。なにかに悩み始めたら、考え始めたらそこに帰ればいいだけ。
こう書くと、ただの現実逃避じゃないかって不安になる人もいると思うけど、
悩んだら、解決策を考えたら解決するものじゃない。
エゴはそう見せてたけど、本当は悩みがなんてことのないもの。
自分のものじゃなかったってわかった時に解決するもの。
物理的にも、精神的にも。
ただその場所に立ち返るだけだと、今までのクセでそれ以外しなくてもいいのかと
不安になるかもしれない。でもその不安に気づいて思考を却下していくと、だんだん
自分がいかに現実だと思い込んでいたリアルな脚本にのめり込んでいただけだと必ず気づく。
脚本に気づいたイコール脚本は自体はあなたではないし、真実でもないってこと。
真実はエゴからの視点を外した場所にある。ただエゴ視点ではなくなるだけ。
気づいたら、なんでこんなの気づかんかったん!?って驚くかもしれないけど、
本当にただ視点を変えるだけ。
見方を変えるのにはメソッドや知識は必要ない。
だから、既にあるを得るために何かをする必要はないんだよ。
最初は恐怖すら伴うかもしれない。けど、その悩み、思考を勇気を持って絶ってみてください。
どうせ今まで色んな事をして叶わなかったのなら、考えなくてもいいじゃない(笑)
ここに来るまで半信半疑だったけど、不思議なことに、本当に気づいたら叶ってる状態。
エゴ視点からすると、「すげぇ!なんでだ!!」って感じだけど、
本当に流れでそうなってるってゆーか、そーいや前願ってたわ。って感じ。
普段は調和してるなぁって穏やかにじーんとしてるってのがちかいです。
ただ、以前の自分の感覚からすると、なんでもって言い方だと
これが魔法みたいなもので現実を操作って捉え方になるから分離しやすいかも。
このやり方で叶わなければ!が来るんじゃなくて、エゴから見ても
気づいたら望んでた以上の最善になってます。
あと、願望が叶うイコール幸せって定義は執着してる間は外すといいですよ。
実際、願望と幸せな気持ち自体は独立した別のものだし、叶うから幸せではなく、
先に幸せを感じてるからやってくるのが仕組みとしては近いです。
ともかく、私も上に色々書いてしまいましたが、心地よいと思えるやり方を実践し続けてください。
カギはメソッドではなく、あなたの中にある実感です。
私の場合、解決しようと考えるほど、逆にエゴの立場にいる事を
思考で強化しちゃってましたから、あえてスパッと思考を断つことがキモでした。
これ蓋なんじゃ??は必ず思うと思いますが、
思考してる!!ってパッと気づいたら
そのパッ!に意識を持っていけばいいんです。その時の意識が大事です。
これ蓋なんじゃ?にもハッと気づく。その意識を感じる。
蓋なんじゃ??のモヤモヤが最初は気になりますが、ハッ!の方に意識をおいていると
自然になくなります。そっちが自分にとって心地よいって実感しだすから。
書いてて自己観察さんのパクリになりましたが、もう一つ。
なるべく長く意識を置こう、観察しよう。としてると、その置こう、観察しよう。
という思考の自分を作り、分離してました。なので、コツとしては
意識を置く時間は長くなくていいので、とにかく思考しないことです。
一つ、ひょっとしたら考えないことで自分がバカになるんじゃないかと、
不安になる人もいるかと考えるかもしれないので、捕捉します。
思考や感情は勝手にポコポコ浮かび上がる泡みたいなもんなんで、
そこに重点置かなくても別に脳力が低下してバカになったりなんてしません(笑)
なのでスパッと切ってください。
そしてその瞬間、物たりなさを感じて何かをしたがるエゴにもきづいたら、
それにもハッと気づいてくださいね。
さて、ポコポコ浮かぶだけのものに色付けして重大だと感じたり優劣をつけてるのがエゴの思考です。
じゃあ思考しないのならやっぱりバカがいいのか!!というと、
バカ⇔賢い
の枠を作って判断しているのはなんなのですか?
バカがいいんだ!!とか賢いのが素晴らしい!!という基準を作って物事を判断した瞬間、
自分は正しい!とか間違ってる!!と思考し錯覚するため、分離を起こします。
ついでに言うと勝つ⇔負けるの基準ってなんなのでしょう??
その基準、枠を作るから勝ったり負けたりが現れるのです。枠がなかったら勝ち負けも存在しません。
もともと世界は一つの物なので、分離を採用すると、どこかモヤァっとするわけで、
それは世界と分離していることを示してくれるサインです。
なので、たとえ自分にとって一見正しいとか、ポジティブに思えることでも
どこかヒリつくような渇望感があったり、モヤァ…があれば、分離のサインなので、
その思考の元に気づいていただきたいです。元になる枠に気づけばそれは消えます。
そして、その枠を作って大事に守りたがってるものってなんなのでしょう??
何を得ようとしているのか??
どうぞ答えを見つけてみてください。
ちなみに、私の説明が下手なので123さんのレスが悪い見本みたいになってしまいましたが、
エゴは私も含め誰にでも存在しますし、(修行を重ねたマスターとかはわかりませんが)
私の場合このような見方をしている自分を認識しているのでニュートラルに感じているだけです。
とまぁ、長くなりすぎましたが、枠を外して思考を遮断すると、
この世にはバカも賢い人も存在していないのです。
中略
ただ言いたかった事は、いい意味だったとしてもその勝ち負けを作る枠に気づいて欲しかったのです。
むしろ、今回はいい意味だからこそ、ここに枠が用意されていることに気づきにくい。
願望が叶ったら勝ちなのか。悟ったら、巷でいう達人になれたから勝ちなのか??
じゃあ、今はそうでない場合負けなのか。幸せでないのか。完璧でないのか。
枠を外せばこの判断基準を外せるので、勝ち負けのないただただフラットな世界が現れます。
そしてその世界を感じた瞬間が、いわゆる別の領域であり、
私が前レスから説明している「ハッ」とする瞬間です。
ぜひこれを「ハッ」と気づき続ける事で味わってもらいたい。
次第に思考はニュートラルになるし、別の領域を採用できてくるので心も穏やかになるでしょう。
ちなみに、
「この人私のいってることを汲み取ってくれなかったなぁ」とか否定された気分があったなら大チャンスです。
否定の元になった枠に気づいてハッとするもよし。
ただモヤァ…となっていた!とハッとするもよし。
どちらにしろこの瞬間、あなたはエゴが用意した台本から離れられるのです。
行動は自然にでてくる感じです。
ハッとした後気持ちよく忘れていたり、忘れ切れてなくても、ハッ!の意識を信頼して動くことで
「失敗したら…手に入らなかったら…」という位置からの行動ではなく、
「あー、あたし今こんなストーリーみてたんだわー。でもそのストーリーいいわー。
本来ストーリーなんてまやかしだから、例え事態がどう転んだとしてもへーきだわー」
といった心境に近くなります。どう転んでも、です。
ただこれも陥りやすいのが、「どう頃んだって怖くない…!!怖くなんてないからねっ…!!」
という絶望エゴストーリーをガッツリみながら行動することではありません。
ストーリーなんて幻なんだから、実は今なんも起こってねぇし。。という感覚です。
また、無理にいい気分にして行動を…!!とすると、この思考事態が
いい気分を元にでてきていないので、思考VS思考のエゴ同士のケンカが始まり、
まずいい気分になんてなれません。
なので、毎度ゴリ押し、そんなエゴ同士の喧嘩の舞台からは
ハッと気づきくことで思考を止めてとっとと降りましょう。
質問。
じゃあ願望はどうやって持てばいいの?
例えば今白い車を持っている。でも赤い車がほしい。
別に白い車のままでも不幸とか不快とかは思わないし、車自体があるので不便さは感じない。
そして赤い車に執着しているわけでもないの。
でも、願望入れ食いになれるなら赤い車にしたいなーと思うのですよ。
で、よく言われる意図して手放すって言われても、赤い車は道に出れば見かけるわけで
見かける度に、あー可愛いなぁほしいなぁって思う。
でも、ほしいと思う度に私は「ない」を決定して不足を支えてるわとか
なぜ手に入らないんだ!!って深刻に考えてるわけでもない。
108さんのメゾットにあった(気がする)「あってもなくてもかまわない」状態でいつもいるの。
で、結局いつまでたっても白い車のままなのです。
返答。
これ、裏側は「ずっと白い車だとがっかり」です。
どちらでもよいフラットな感覚を心がけようとされてますが、赤い車を見るたびに不足を支えてる。
そのやり方を本当に適用できた場合、みかけても「わぁー!赤い車だぁ!」
で終わりなんですよ。
で、普段白い車でも、赤い車があなたのところにきても、どっちでも淡々としている。
こう書くと、じゃあ願望入れ食いになって赤い車がきても喜べんやんけ!そんなんいやや!!
とエゴが騒ぎ出しますが、喜びはもちろんあります。
が、やったどーーー!!!あたいは遂に欲しいもんを手に入れたんや!!これはあたいのや!!うぉーー!!
といったテンションの高さはありません。
どちらをえらぼうかな~☆フフッあ、こっちにしよー☆はい!じゃあこれでー☆
という時のワクワク感に近いです。
で、前者のテンションがなぜ高くなるのか。
それは無いものがある物に変わった!!という、裏側に無いが隠されているため、
渇望がスパイスになっているからです。
渇望は、分離から生まれます。
そしてエゴの餌は分離です。すべてが一つという感覚は、分離を生みません。
分離したと思い込む事で、エゴはそれを一つにしたい!という幻想を抱きます。
そこから四苦八苦の迫真ストーリーを展開していきます。
ですので、渇望からの達成は元が分離なので、ずっと分離を元にしたストーリーを生み続けます。
しかも叶ったり叶わなかったりとその渇望ストーリーは心休まることがありません。
じゃあそのストーリーからどうやって降りるんや!となりますが、なんのことはありません。
何度もゴリ押しですが、ハッとそのストーリーに気づけば終わります。
それでもまたモヤモヤし出したら、エゴが新しい渇望ストーリーを生み出しているので、
何の事はない、またそれに気づけばいいのです。
ハッ!の瞬間の何もストーリーが始まっていない、台本のない場所を採用できれば、
自然に渇望感も収まってきます。
>>137
伺いたいのですが、
>じゃあそのストーリーからどうやって降りるんや!となりますが、なんのことはありません。
>何度もゴリ押しですが、ハッとそのストーリーに気づけば終わります。
>それでもまたモヤモヤし出したら、エゴが新しい渇望ストーリーを生み出しているので、
>何の事はない、またそれに気づけばいいのです。
エゴに気付くだけで本当に終わるのでしょうか?
というのも私は自己観察さんを知ってから二年位ですが、エゴに気付いてもなかなか終わりません。
相変わらずエゴが強いです。気付いても気づいてネバーエンディングストーリーというか。。。
ただ自己観察さんはエゴに気付いている意識に気付く事が重要だとおっしゃられていましたが、
私はエゴが強いせいかその意識に気付けず、途中からはただエゴに気付くだけというやり方です
(意識に気づくというゲームに没頭してしまう事になったので)。
やはりエゴに気付くだけではダメで、エゴに気付いている意識に気付かないとダメなのでしょうか?
>>144さん
気休めでも無いので断言しますが、気づいたその瞬間、台本から確実に降りているんですよ。
じゃあなぜネバーエンディングストーリーになるか。
こだわりが強い本願と言われる物ほどそれについて思考する癖というか、
人によっては四六時中になる中毒になってます。
で、思考にハッと気づいて消えても、その癖から消えた物の残像を追ってる。
対処としては、それについてもうスッパリ考えなきゃいいんですよ。
そうしようとすると、猛烈な恐怖や物足りなさ出てくるかもしれませんが、
それもただの反応で、ずっと続く物ではありません。
あと、メソッドや認識の変更というものに少しこだわり過ぎ感があります。
なんでもそうだけど、メソッドとしてやると、どうしてもこうしなければ叶わないから、って
ただの繰り返しゲームになるんです。
そんなの楽しいわけなくて、絶対やってて苦しいでしょう。自分をいじめないでください。
苦しいと思ったらどうか思考も実践してるメソッドすらもスパっと切ってください。
意識への気づきの入り口は本当にささいなものなんです。
例えば、長い時間勉強していて、「ふ~、よーし、そろそろ休憩するかぁ……」
って時、勉強から意識が離れて心が軽くなってるじゃない。
こんな身近な感覚でも、エゴから離れてる瞬間ですよ。
確かに深く感じられるようになると、すごく気持ちの良い場所ですが、
最初の入り口はそんな些細な感覚と似てます。
まずは手応えを気にせず、最初はともかく思考をきっぱり断つことをあなたはされた方がいい気がします。
探すことに夢中になってるから。そのうち勝手に手応えもでてきます。
変えたいなら、思考する癖を本気で断つつもりでやってください。
叶っていない世界を元にした妄想に浸るのはもうやめてください。
勇気を持ってそんなまやかしの幸せを捨てれば、繰り返しはなくなります。
きつい口調でごめんね。
私も抜けられなかったけど、ここを抜けたら一気に駆け上がったんだよ。
願望を忘れろなんて難しい事は言わないし、無理やり忘れることのできるものでもないと思う。
でも、考えないことはやっていけるはずなんだよ。
最初は心許なくても、消えた思考の影をどうか追わないで。
執着は消えてそのうち願望はただの意図に変わるから。
意思が強い訳でなく、頭脳明晰でもなく、本当にありふれた
弱い私が実践すればできたんだから、あなたにできないわけないじゃない。
七章に達したら達人なんて風潮ですが、みんなそんな難しい大層なことして達成したわけじゃないですよ。
ただ自分の感覚を信じて、人生のほんの少しの期間実践しただけです。