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備忘録

一喜一憂してもいい

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一喜一憂してもいい

画家式71 一喜一憂してもいいから、自分の穏やかさだけにアンカーを置くといいです



最近今の生活に幸せを感じられることが多くなってきたのですが、反して
今の充足がなくなってしまったらどうしよう…とネガティブに思ってしまうことが最近よくあります。

例えば今仲良くしてくれてる友達に嫌われたらどうしよう、だとか、
母の優しさがなくなってしまったらどうしよう…というような感じです。
エゴに一喜一憂する生活はもう散々です。どう認識を変えていけば良いでしょうか?


画家


「私が不安に感じることは一切錯覚であり幻想である」
「故に私はどんなときでも不安を選択する必要は全くない」

と一度だけ宣言してみます。
そして不安が来たらそれにケンカを売らず、抵抗せずに
「ああ、錯覚を見ていると教えてくれているんだな」と認識し、相手にしないことです。
不安を選択しなくなると自然に充足が広がってきます。
エゴに一喜一憂することも少なくなってきます。

と言うか、エゴを何とかしよう、などとはお考えにならないことです。
イリュージョン(錯覚)に対し、何とかしよう、なんて全くのナンセンス。
心配に対し、何とかしようとするのと全く同じ。
何とかしようと言う行為そのものがその錯覚を支えます。
錯覚は錯覚として気付いておけばいいのです。

折角の人生、不安を真に受けると損です。
心配すると心配したように、安心すると安心したように現実は展開します。
私はいやと言うほど体験しました。
そしてその心配して展開した現実自体、嘘っぱちと来たもんです。
あなたもそのうちこれが嘘っぱちであることがわかります。



雑煮

たまにはこんなことも書いてみようかな。

今起こったことだ。

週末まで纏まった金が要るんだ。
ギャラが入ってくれると無事なんだが、さてどうだろう?
少し心配が起こったことに気付いている。

ありがたい。
その心配を見破るチャンスだ。
私は心配を手放す。

安心という正気に戻る。
さあ、チャーハンチャーハン☆

すると・・・・

ピンポーン♪
あら?宅急便?
「書留です~☆」

こうやって私は無事、今、ギャラを手にした。

あのね、こんなことばっかなんだわよ、現実に起こってることって。

「心配は錯覚かもだぞ?」
「心配は損なだけかもだぞ?」
「望んだことはマジで既にあるかもだぞ?」

と面白がって見ていると充足は限りなく広がってくる。


画家
心配を、感じて、手放す。
その都度手放しているとそんな現実が来ます。
するとね、認識を変更せざるを得なくなる、ってか、勝手に変更される。
心配するだけ損だと感じられるようになる。
だからだんだん心配事がなくなってくる。

心配しちゃダメだ、というマインドだと心配を引き寄せるから、
心配してもいいんだ、いつでも手放せる、といった態度で行こう。


画家

>>814
憂鬱になったら、それが錯覚であることを見抜こう。

理屈で言えばこうなる。
例えばこんな文章があるとする。

「エゴを捨てない限り、あなたの苦しみは消えない」
「あなたがやっていることは所詮、エゴのごまかしだ」

これ見て気が重くならない?
鬱にならない?

何故か。
普通はこんな回答が来る。

「それはエゴ自体が生き延びようとしてもがいているからだ」
「故にその苦しみに耐えてエゴを捨てろ」とね。

こんな馬鹿回答もない。
この回答そのものが「エゴ発信」だよ。

真相はこうだよ。

「その認識(観念)自体、錯覚(勘違い、誤謬)である」

つまりこの文章には条件付けが隠れている。
その条件付けに感情は不快感で答える。
条件付けは嘘だからだよ。
それを真に受けた瞬間に息苦しさを覚えるわけだ。

しかしそんな理屈はどーでもよろしい。
不快感に対し何の価値も置く手は無いぜ?w



>>823

一喜一憂してもいいから、自分の穏やかさだけに自分のアンカーを置くといいです。
おいらも一喜一憂するし一緒だよ一緒w
なーんも変わらんw

ただ、不快感を齎すものは全て嘘だ、と断言出来るだけだよ。
これ、直感なんだ。
と言うか何と言うか・・・説明を受けたからそうだと思ったんじゃないんだよ。
見て、即座に解った。

理屈は後から見えてくるけどねw

体験(感覚)を通したものは認識を変える。
概念では変わらないんだよ。
はっきり言うと概念はエゴの飴玉なんだよ。
だから実感を大切にしよう。



画家

>>821
>そしてだからこそここは素晴らしくイカした遊び場なんですね。

簡単に言うと絶対安全なアトラクションだと思えばいいと思います。
(思えばいいと、思います?変な日本語だなぁw)
超リアルアバターですよw



「錯覚」がどうしてもわかりません。
現在も非常に強い後悔の念に囚われていて、どうしてもそれを「錯覚」と思えず
体がバラバラになりそうなくらい苦しいです。

「後悔先に立たず」で済んでしまった事を今更どんなに悔やんでも時間は戻らないし、
やり直しも取り返しもつかないんだから考えるだけ無駄と思うのですが、
やり直しができないから尚更後悔してしまいます。

「あの時なんで○○しなかったんだろう!」
「なんで○○しちゃったんだろう!」
「あーー○○すれば良かった!○○したいけど今からは二度と無理!
あーー!オマエのせいじゃー!バカヤロー!」
って自分を責め、やり直しのきかない「今」に地団駄踏んでのた打ち回っています。

「不快」も「不満」も「不足」も「後悔」もすべて「錯覚」で
私に「それは違う」と教えてくれているのでしょうけど、
「違わない!」と叫んでしまいます。

「○○したかった」という結果が手に入れられてなく
そしてもう二度とそれは手に入れられない事柄なので
その事実に対する絶望や後悔を「錯覚」と思えないんです。

執着し過ぎだと思いますが
「もうどうでもいいや」って手放せません…
感情に抵抗せずにただ感じてみてもその時だけでまたぶり返します…

なんかDAZEさんの「おまいに責められてるおまいが泣いてるぜ」
って声が聞こえてきそうですが、責めるのも後悔するのもどうしてもやめられないんです。


画家

>>831
大丈夫大丈夫。
錯覚を錯覚だと認識できなくても大丈夫です。
ただ後悔の念やいろんな不快感を感じたら

「この思いは錯覚かも・・・」

と軽く疑問に思ってください。
そしてその不快感が滞るようなら「感情を感じる方法」や
クリアリング系メソッドで軽くしてやってください。

はっきり言います。

いい?

はっきり言いますよ。

あなたは如何なるものにさえ、如何なる状況にさえ、如何なる人にさえ、
勿論、自分の思考も含め、感情も含め、観念も含め、

苦しむ必要は一切ありません。


画家

>>831
あとね、ちょっとコツなんですが、ため息ってあるじゃないですか。

ため息。
今後、そのような不快な感じ(後悔とか)が来たらケンカしちゃだめですよ。
それは「これは錯覚なんだよ!」も「こうやったらよかったんだ!」という思考と変わらないからです。
これを「葛藤」と申します。

そんなとき、ごく軽く「錯覚なのかもしれん」くらいに留めて、
ため息と共に不快な感じを吐き出してください。
何度かやってると気が晴れてきます。

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